「光州事件」の版間の差分

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{{要出典|date=2015-08-07|事件当時の韓国では'''光州事態'''({{lang|ko|광주사태}})と呼ばれた。これは戒厳下において不純分子による騒擾事態(暴動)とみなされたためで、マスコミの報道がそれに倣ったことによって定着してしまった。これに対して金大中は「光州義挙」(광주의거)と名付けた。}}
 
{{要出典|date=2015-08-07|1988年、[[盧泰愚]]が大統領に当選した後に設置した民主和合推進委員会は「光州事態」を民主化運動として再定義し、'''(5.18)光州民主化運動'''と呼び改めることを提案した}}。{{要出典|date=2015-08-07|そして1995年、[[金泳三]]政権で「[[5.18民主化運動に関する特別法]]」([[:ko:5·18민주화운동등에관한특별법|ko]]) が成立して公文書でも広く使われるようになり、現在に至っている<ref>{{Cite web |author= |date= |url= http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1995/101/1995101DIA.html|title= 1995年 大韓民国重要日誌|publisher= アジア経済研究所|accessdate=2015-8-8}}</ref>。
 
口語では単に「5.18」と呼ばれることも多い。民主化運動団体では、軍部独裁に対する抵抗運動として'''光州民衆抗争'''({{lang|ko|광주민중항쟁}})、'''光州民主化抗争'''({{lang|ko|광주민주화항쟁}})、'''光州抗争'''({{lang|ko|광주항쟁}})という言い方もされる。
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