「チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル」の版間の差分

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== 開催までの経緯 ==
[[2000年]]に発生した[[火山]]の[[噴火]]による[[災害]]の復興策として、主に観光客誘致などを目的として[[イギリス]]の[[マン島]]で行われている[[マン島TTレース]]を参考に、[[東京都知事]]である[[石原慎太郎]]が公道でのオートバイレースを提唱した(ライダーである大鼓演奏者・[[大倉正之助]]による発案ともいわれるが[[Hiro T.A Sheene]]とも懇意だった[[徳田虎雄]]震源に拠るものが大きかった)。都の発表では公道でのオートバイレースは日本国内初とされているが、公道を使用したオートバイレースは[[1927年]]の中部巡回モーターサイクルレースを初め、何度か行われている。また日本国内の自動車による公道レースとしては、既に[[ラリージャパン]]などの[[ラリー]]があるほか、北海道小樽市で[[チャンプカー・ワールド・シリーズ]](CCWS)の誘致も行われた事もある(但し、CCWSのシリーズ終了に伴い中止)。
 
当初計画では、島を周回する[[東京都道212号三宅循環線]]約30.4[[キロメートル|km]]を、阿古地区をスタート&ゴールとして、反時計方向に走行するレースがメインイベントとなる予定だった。標高差は約160m。3日間のうち本戦は最終日で、[[排気量]]125cc以下のマシンで[[タイムアタック]]形式で行われ、認定されたライダーによりタイムを競うものであった。