「ライバッハ (バンド)」の版間の差分

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==概要==
1980年、トマシュ・ホストニク(Tomaž Hostnik)とデヤン・クネツ(Dejan Knez)を中心に結成。[[1982年]]にホストニクは[[自殺]]するが、その後加入したミラン・フラス(Miran Fras)が代わりに中心となり、活動を続けている。アルバムのジャケットや[[ビデオクリップ]]にたびたび登場する、頭巾を被った男性がフラスである。フラス以外のメンバーは基本的に匿名である(アルバム等のクレジットにも記載されていなかったが、[[2014年]]に発表された『Spectre』では作詞者やパフォーマーとしてフラスの他複数のメンバーの名前が記載されてる。ただし、同時に「ライバッハとは皆さんご存知の通りEber、Saliger、DachauerそしてKeller(によって構成されている)」とも書かれてある。これら4名の名義はライバッハの初期から使われてきた匿名そのものである。)。
 
初期の作品は、音楽的には[[インダストリアル|インダストリアル・ミュージック]]の傾向が強く、前衛音楽的とも言える。やがて『'''オーパス・デイ'''(Opus Dei)』で[[ハンマー・ビート]]を用るようになった [[1990年代]]からは別名義のユニット300,000V.K.が手がけていたエレクトロニック・ミュージックの要素を多く取り入れている。特に『'''WAT'''』ではスロベニアを代表するテクノDJ[[ユーメック]](Umek)がアルバム全体をプロデュースしている。
 
グループ自体は自身の活動を新スロベニア芸術({{lang|de|Neue Slowenische Kunst}})という芸術運動の一部に位置づけており、制服の着用などの[[全体主義]]を想起させるモチーフの多用が特徴である。ライバッハという名も、スロベニア各地を占領しドイツ化を推し進めた[[ナチス・ドイツ]]を連想させるとして、[[第二次世界大戦]]以降は使用が控えられてきたものである。これらのモチーフの使用は、あくまで[[ファシズム]]に対する[[パロディ]]の一環であると彼らは主張しているが、彼らに詳しくない音楽ファンから誤解されたり、[[右翼]]、[[左翼]]の双方から攻撃される原因となり(ただし[[スラヴォイ・ジジェク]]に代表される擁護者もいる)、またユーゴスラビア時代には政府から監視される原因となった。
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* Nova Akropola([[チェリーレッド・レコード|チェリーレッド]]、1985年)
* The Occupied Europe Tour 1985([[1986年]]) - ライブ
* オーパス・デイ Opus Dei([[ミュート・レコード]]、[[アルファ・レコード]]、[[1987年]]) - オリジナルアルバムとしては、唯一邦盤が存在するアルバムである。
* Slovenska Akropola(1987年) - コンピレーション
* Krst Pod Triglavom-Baptism(1987年)