「第2SS装甲師団」の版間の差分

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== 戦争犯罪 ==
ダス・ライヒ師団が関与したと唯一の戦争犯罪の疑いがある事件は、ノルマンディに連合軍が上陸した4日後の1944年[[6月10日]]、フランス中南部・[[リムーザン地域圏|リムーザン地方]]の[[オラドゥール・シュル・グラヌ]]の村での642人のフランス人の民間人の殺害である。この殺害には、第4SS装甲擲弾兵連隊「デア・フューラー」の第1大隊の指揮官である{{仮リンク|アドルフ・ディークマン|de|Adolf Diekmann}}[[親衛隊少佐|SS少佐]]が関与していた。前日の[[6月9日]]にも[[チュール]]で99人の村人を殺害していた。彼はその地の[[マキ (抵抗運動)|マキ団]]により40人近い兵士が死傷したパルチザン活動に対する正当な処置であったと主張した。親衛隊当局は、ディークマンを民間人虐殺で起訴することを望んだが、彼は裁判を受ける前の6月29日にノルマンディ戦線で戦死してしまった。戦後、1953年に、フランス当局が裁判を行なったが、少数の人間しか有罪で処罰されなかった。[[オラドゥールシュルグラヌ]]の村の跡地は戦後、廃墟のまま保存されている。
 
== 作戦地域 ==