「レビー小体型認知症」の版間の差分

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== 歴史 ==
ジェームス・パーキンソンが[[パーキンソン病]]では認知機能は障害されないと記載したこともありパーキンソン病の精神症状、認知機能が注目されるようになったのは1970年代からである。[[レビー小体]]とはドイツの神経学者{{仮リンク|フレデリック・レビー|en|Frederic Lewy}}によってパーキンソン病変の脳幹で発見され名付けられた[[封入体]]である。当時は[[レビー小体]]は大脳皮質には出現しないか、出現しても稀で少数であるというのが通説であった。1970年代後半でもパーキンソン病の認知症の大部分はアルツハイマー型認知症の合併であると報告されている。しかし[[小阪憲司]]が1976年以降に認知症とパーキンソン症候群を主症状とし、レビー小体が脳幹の他に大脳皮質や扁桃核にも多数出現する症例を相次いて報告した<ref>{{cite journal|author=Kosaka K, Oyanagi S, Matsushita M, and Hori A.|title=Presenile dementia with Alzheimer-, Pick- and Lewy-body changes|journal=Acta Neuropathol|volume=36|issue=|pages=221-233|year=1976|id=PMID 188300}}</ref>。その後同様の報告が日本で次々と報告されたが欧米ではあまり報告されなかった。小坂は1980年に20剖検例を用いて[[レビー小体病]](Lewy body disease)を提唱した。また1984年に11剖検例を持ち用いてびまん性レビー小体病(diffuse Lewy body disease)を提唱した。この時に欧米ではびまん性レビー小体病が見逃されている可能性を強調していた。1985年以降、欧米でもびまん性レビー小体病の報告が相次いで認められるようになった。小坂はレビー小体病をレビー小体の分布から脳幹型、移行型、びまん型に分類し、脳幹型がパーキンソン病であり、びまん型がびまん性レビー小体病とした。またびまん性レビー小体病を種々の程度アルツハイマー型認知症の病理所見を伴う通常型と伴わない純粋型に分類するべきであり両者は発症年齢も臨床像も異なると述べた。
 
1995年にイギリスで第1回国際ワークショップが開催され、名称をレビー小体型認知症と総称することとし、臨床診断基準と病理診断基準が提唱された。その結果は1996年のNeurology誌に掲載された。この臨床診断基準により臨床診断が可能になり欧米ではアルツハイマー型認知症に次ぐ2番目に多い認知症であることがわかった。またレビー小体の主な構成成分がαシヌクレイン蛋白であることがあきらかになり免疫染色で病理診断が容易になった。1998年にオランダで第2回国際ワークショプ、2003年にイギリスで第3回国際ワークショップが開かれそれぞれで臨床診断基準や病理診断基準の改訂が行われた。2003年のワークショップの結果は2006年のNeurology誌に掲載された。この新しい病理基準ではレビー病理やAD病理の相対的割合を考慮したものであり、これらの病理が臨床症候群にどの程度関与するかのlikelihoodという考え方を提案した。2006年には第4回国際ワークショップを日本で行った。2013年に発行したDSM-5ではNCDLBとNCDPDというレビー小体型認知症(DLB)と認知症を伴うパーキンソン病(PDD)に相当する病名が誕生した。