「ウラジーミル・ムスチスラヴィチ (キエフ大公)」の版間の差分

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'''ウラジーミル・ムスチスラヴィチ'''([[ロシア語]]表記:Владимир III Мстиславич,1132年 - 1173年)は、[[ドロゴブージ公 (ドロホブージ)|ドロゴブージ公]](在位1150年 - 1154年,1170年 - 1171年)、[[ヴォルィーニ公|ウラジーミル・ヴォリンスキー公]](在位1154年 - 1157年)、[[スウツク|スルツク]](1162年)、[[トリピリャ|トリポリェ公]](在位1162年 - 1168年)、[[キエフ大公]](在位1171年)。[[ムスチスラフ1世]]の息子の一人。治世が余りに短かったため、しばしばキエフの統治者リストから漏れることがある。
 
==妻子==
妻はハンガリーの[[バン (称号)|バン]]・Belos[[:ru:Белош Вуканович|(ru)]]の娘(1150年結婚)。子には以下の人物がいる。
*[[ムスチスラフ・ウラジミロヴィチ (ドロゴブージ公)|ムスチスラフ]]
*ヤロスラフ[[:ru:Ярослав Владимирович (князь новгородский)|(ru)]]
*ロスチスラフ
*スヴャトスラフ
 
 
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