「小沢佐重喜」の版間の差分

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[[弁護士試験]]に合格した翌年には[[下谷区]]御徒町に「小沢佐重喜弁護士事務所」を開業した<ref name="Okunop103"/>。しかし、[[侮辱|どこの馬の骨]]ともわからない新人の弁護士に仕事が回ってくるはずもなく、生活は苦しくなる一方だった<ref name="Okunop103"/>。
 
開業当初は生活が苦しく、上野界隈を縄張りにしている[[テキ屋]]の黒門一家の[[顧問|顧問弁護士]]もやっていた<ref name="Okunop104">奥野修司著『小沢一郎 覇者の履歴書』104頁</ref>。また、「[[あんみつ]]屋や、[[おでん]]屋などを営んでいた時期もあった」と水沢の後援者のほとんどが口にしている<ref name="Okunop105">奥野修司著『小沢一郎 覇者の履歴書』105頁</ref>。
 
この黒門一家に頼まれて、[[敗戦]]後のどさくさに紛れて[[韓国人]]や[[中国人]]に渡った[[土地]]を取り戻す仕事をした<ref name="Okunop104"/>。その報酬として、取り戻した[[土地]]の何割かを受け取った<ref name="Okunop104"/>。このときに謝礼として受け取った小さな土地は、都内のあちこちに点在していたといわれる<ref name="Okunop104"/>。これが、後に佐重喜の選挙資金の基盤になった<ref name="Okunop104"/>。当初から佐重喜は[[政界]]を目指していたようで、弁護士時代には積極的に[[三木武吉]]のもとに通っている<ref>奥野修司『小沢一郎 覇者の履歴書』106頁</ref>。