「北条実泰」の版間の差分

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'''北条 実泰'''(ほうじょう さねやす)は、[[鎌倉時代]]前期の[[北条氏]]の一門。[[北条氏 (金沢流)|金沢流北条氏]]の祖で、'''金沢 実泰'''(かねさわ さねやす)とも<ref name="kotobank Plus" />。
 
父は[[鎌倉幕府]]第2代[[執権]]・[[北条義時]]、母は[[継室]]の[[伊賀の方]]で、[[北条政村]]・[[北条時尚]]と同母兄弟(『[[明月記]]』[[天福 (日本)|天福]]2年([[1234年]])[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]条によれば母は[[一条実有]]の娘だが、「入来院家所蔵平氏系図」に「[[伊賀朝光|伊賀守朝光]]女」、「桓武平氏系図」ではと政村の同母弟であることを示す「同」の文字が見られることから、研究においては『明月記』の記載は風説とみなされている<ref>永井晋『金沢北条氏の研究』(八木書店、2006年)P.24。</ref>)。
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