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==== 連合艦隊参謀長 ====
[[1943年]](昭和18年)5月23日連合艦隊参謀長。[[海軍甲事件]]に伴い[[連合艦隊司令長官]]となった[[古賀峯一]]海軍大将に要請された人事だった。しかし、戦況はすでに日本にとって不利となりつつあり、戦術戦略の神様とまでおだてられていたという福留も、実際は頭の固い人物であり、伝統的な艦隊決戦主義から脱却できず、有効な作戦を打ち出せないまま日月を費やすのみだった。
=====海軍乙事件=====
 
{{main|海軍乙事件}}
[[1944年]](昭和19年)3月31日[[海軍乙事件]]発生。連合艦隊は内南洋の拠点としてパラオを利用していたが、3月に連合軍の大空襲を受け、福留ら司令部要員は3月31日、ミンダナオ島のダバオへ飛行艇(二式大艇)で移動を図ったが、途中で低気圧に遭遇し、連合艦隊司令長官[[古賀峯一]]海軍大将の乗機は行方不明となり、福留の乗った二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた9名は泳いで上陸したが、ゲリラの捕虜となり、1944年3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われた。ゲリラに対して警戒心を抱かなかった福留らは拘束時に抵抗や自決、機密書類の破棄もしなかった(かばんを川に投げ込んだが、すぐに回収された)。