「片岡仁左衛門 (11代目)」の版間の差分

十一代目の上京は、当時「五代目中村歌右衛門」の名跡を巡って大阪の[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]と東京の[[中村歌右衛門 (5代目)|五代目中村芝翫]]との間に争いが起こり、仁左衛門は芝翫を支持したために、関西では飛ぶ鳥を落とすほどの人気を誇った鴈治郎の支持者に囲まれて日々が日増しに居辛くなったからだといわれている。
 
明治43(1910)10月歌舞伎座で[[坪内逍遥]]作『[[桐一葉]]』の片桐且元じる。以後[[新歌舞伎]]に力を入れ、『桜時雨』『名工柿右衛門』などを初演した。
大正元年(1912年)には<!--55歳。-->長男の[[片岡仁左衛門 (13代目)|片岡千代之助]]のためにもなるからと、私財を投じて片岡少年俳優養成所を設立<ref>{{Cite book|和書|author=岡本綺堂|year=2014|title=綺堂芝居ばなし|publisher=旺文社文庫|pages=218p}}</ref>。後継者を育成し、若手俳優への芸の伝承にも尽くした。 
 
大正元年(1912年)には<!--55歳。-->長男の[[片岡仁左衛門 (13代目)|片岡千代之助]]のためにもなるからと、私財を投じて片岡少年俳優養成所を設立<ref>{{Cite book|和書|author=岡本綺堂|year=2014|title=綺堂芝居ばなし|publisher=旺文社文庫|pages=218p}}</ref>。後継者を育成し、若手俳優への芸の伝承にも尽くした。 
同年、[[坪内逍遥]]作『[[桐一葉]]』を初演。以後[[新歌舞伎]]に力を入れ、『桜時雨』『名工柿右衛門』などを初演した。
 
また従前[[人形浄瑠璃]]においてのみの演目だった『大文字屋』や『鰻谷』を歌舞伎化するなど、新しい芝居を作る独創性に長けていた。初代中村鴈治郎とは一時不仲を噂されるほどの対立関係にあったが、それだけに芸のしのぎを削り合う相手として張り合い、互いに研鑚しあっていた。十三代目の著書には、晩年は舞台を共にし、公私にわたって仲が良かったと書いている。
匿名利用者