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[[鳥取市]][[立川町 (鳥取市)|立川町]]出身<ref name="yomidr" />。[[母子家庭]]で育つ。鳥取県立鳥取第二中学校(現[[鳥取県立鳥取東高等学校]])から旧制松江高校(現[[島根大学]])を経て、[[1938年]][[京都帝国大学]]<ref name="yomidr" />[[文学部]][[哲学科]]卒業。[[小学校]]の[[代用教員]]を経て、[[1940年]][[滋賀県庁]]に社会教育主事補として奉職し、秘書課長などを歴任する。また、この間に『次郎物語』の作者である[[下村湖人]]と親交を結び、下村の提唱する「煙仲間」運動にも共鳴する<ref>蜂谷俊隆「糸賀一雄と下村湖人」『社会福祉学』 Vol.50-4(No.92) 日本社会福祉学会 2010年</ref>。
 
[[1946年]]11月、戦後の混乱の中で[[池田太郎]]、[[田村一二]]の要請を受け、戦災孤児を収容するとともに、知的障害児入所・教育・医療を行う「[[近江学園]]」を創設<ref name="yomidr" />し、園長となる。その後、落穂寮、信楽寮、あざみ寮、日向弘済学園などの施設を相次いで設立した。
 
[[1963年]]重症心身障害児施設「[[びわこ学園]]」を創設<ref name="yomidr" />。東京の島田療育園とならんで、重症心身障害児施設の先駆けとなった。1966年には、二つめの重症心身障害児施設である第二びわこ学園を設立した。