「ダニエル・ビダル」の版間の差分

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Danielee (会話 | 投稿記録)
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==概略==
当時フランス領であった北[[アフリカ]]の[[モロッコ]]生まれ。[[シャルル・アズナヴール]]にスカウトされ、バークレイ・レコードへ。[[1969年]]、17歳で歌手デビューし、「Aime ceux qui t'aiment(汝を愛する者たちを愛せ、という意味)」という[[レコード]]を出した。これは[[ロシア]]のポピュラー歌手[[エディタ・ピエーハ]]のカバーで、新しく[[フランス語]]の歌詞をつけて本国フランスで発売され、「天使のらくがき」という邦題で日本で発売された。また、[[日本語]]の歌詞を付けた盤も出されるなど、彼女の活動の舞台は日本に置かれた。そのため[[1970年]]初頭より、しばしば日本に長期滞在している。当初は歌唱力にやや難があったが、金髪碧眼で[[日本人]]女性より小柄な<ref>『(当時のバイオによれば)身長155センチという小柄な彼女は…』ベスト・オブ・ダニエル・ビダル(CD)2006年 [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサル・ミュージック]] UICY-1363 解説</ref>事から[[フランス人形]]のように愛らしいと形容され、大きな人気を得た。日本語の歌のレコードを出すだけでなく、[[テレビ]]の[[バラエティ番組]]にもしばしば出演し、日本の[[アイドル]]タレントの観を呈した。本人も[[親日]]家である事を公言しており、現在もごくたまにテレビ番組等に出演した際は流暢な日本語を話している。
 
[[1980年]]に日本の[[グループ・サウンズ]]「[[チャコ&ヘルスエンジェル]]」のメンバー柴田功と結婚し男児をもうけたが、後に離婚現在は[[ドラギニャン]]でパートナーとレストランを経営している。
 
==ディスコグラフィー(日本で発売されたもの)==
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*別れのくちづけ・こなゆき舞う夜/ダニエル・ビダル・ゴールデン・プライズ第4集 キング GP-307 1972年
*メルシー・ボクー/ダニエル・ビダル・ゴールデン・プライズ キング GXI-9015 [[1976年]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
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