「伝通院」の版間の差分

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== 戦災・戦後 ==
[[File:Denzuin Sanmon 01.JPG|thumb|250px|再建された山門]]
[[昭和]]20年([[1945年]])[[5月25日]]の[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]による[[空襲]]で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失した<ref>明治41年12月の火事により本堂が全焼している。[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/{{NDLDC|1920436/278}} 明治41年12月4日東京朝日新聞『新聞集成明治編年史 第十三巻』]写真あり(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去った。昭和24年([[1949年]])に本堂を再建。現在の本堂は、昭和63年([[1988年]])に戦後2度目に再建されたものである。[[平成]]24年([[2012年]])3月には山門が再建された<ref>{{Cite news | url = | title = 東京大空襲で焼失 伝通院山門 67年ぶりに再建 | newspaper = [[東京新聞]] | date = 2012-03-05 | accessdate = }}</ref>。
 
敷地の隣に[[浪越徳治郎]]が創立した日本唯一の[[指圧]]の専門学校[[日本指圧専門学校]]がある縁で、寺の境内には浪越が寄贈した'''指塚'''がある。ほかにも境内には、書家・[[中村素堂]]の書による碑「如是我聞」がある。