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{{複数の問題
|出典の明記 = 2015年8月
|単一の出典 = 2015年8月
|独自研究 = 2015年8月
}}
'''ジャムセッション'''({{Lang-en-short|Jam session}})とは、本格的な準備や、予め用意しておいたアレンジを使うことなしに、[[音楽家|ミュージシャン]]達が集まって[[即興演奏|即興的に演奏]]すること<ref name="Fujioka">[[#アドリブ・ギター虎の巻〜ジャズ/フュージョン編〜|アドリブ・ギター虎の巻〜ジャズ/フュージョン編〜]]Jamp8</ref>。特にこれを重視する[[バンド (音楽)|バンド]]を[[ジャム・バンド]]という<ref name="Fujioka"/>。類似語として'''アドリブ'''や'''インプロヴィゼーション'''がある<ref name="Fujioka"/>
 
== 概要 ==
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== ジャズ・シーン ==
[[第二次世界大戦]]中、および後の[[ニューヨーク]]のジャズシーンは、閉店後のジャムセッションで有名だった。最も有名な閉店後のジャムセッションの1つは、[[1940年代]]から[[1950年代]]早期に[[w:Minton's Playhouse|Minton's Playhouse]]で行われていたものである。Minton's Playhouse でのジャムセッション (Minton's jams) は豊かで、創造性に富んだ演奏の場で、[[ベン・ウェブスター]]や[[レスター・ヤング]]などのような今や認められているソロイストたちの実験場となっていた。そこに参加した若いジャズミュージシャン達は、やがて[[ビバップ]]ムーブメントをリードする代表的な演奏家になっていった<ref name="Fujioka"/>。Minton's house の[[ピアニスト]]だった[[セロニアス・モンク]]や、[[チャーリー・パーカー]]、[[ディジー・ガレスピー]]らである。Minton's jams は、そのレベルの高い"cutting contest"で[[伝説]]となっている。ソロイスト達は、Minton's house のバンドとの伴奏を維持しながら、互いに[[即興演奏]]を掛け合う技術を磨いた。
 
== ロック・シーン ==
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== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=藤岡幹大|authorlink=藤岡幹大|date=2007年12月18日|title=アドリブ・ギター虎の巻〜ジャズ/フュージョン編〜|publisher=株式会社[[シンコーミュージック・エンタテイメント]]|isbn=978-4-401-63162-9|ref=アドリブ・ギター虎の巻〜ジャズ/フュージョン編〜}}
 
== 関連項目 ==