「海老原博幸」の版間の差分

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* [[1965年]]1月3日、過去3度戦っているOBF東洋フライ級王者、[[中村剛 (ボクサー)|中村剛]](新和)と4度目の対戦。10R判定勝ち。
* 1965年5月7日、ロサンゼルスの[[ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム]]にてWBA世界フライ級1位として同級2位のアラクラン・トーレスと世界王座挑戦権をかけて再戦。1R早々ダウンを奪いペースを掴み、7Rには左ストレートから連打を浴びせて再びダウンを奪う。トーレスが立ちあがった所に追撃し通算3度目のダウンを奪い、7RTKO勝ち。
* [[1966年]]7月15日、[[ブエノスアイレス]]の[[ルナ・パーク・スタジアム]]にてWBA・WBC世界フライ級王者[[オラシオ・アカバリョ]]({{ARG}})に同級1位として挑戦するも試合前に痛めた左拳を4Rに骨折し、右手のみで追いかけ回したが及ばず15R判定負け(0-3)<ref name="JapanProBoxingHistory" />。
* [[1967年]]4月10日、後の日本フライ級王者である[[スピーディ早瀬]]([[中村ボクシングジム|中村]])と対戦。10R判定勝ち。
* 1967年8月12日、世界王座挑戦が決定していた[[田辺清]]([[田辺]])が[[網膜剥離]]にて引退、ピンチヒッターとして再びオラシオ・アカバリョの世界王座に同級3位としてブエノスアイレスのルナ・パーク・スタジアムにて挑戦。序盤はリードするものの、6Rに左拳を再び骨折、後半アカバリョの反撃に見舞われ、またも15R判定負け(0-2)<ref name="JapanProBoxingHistory" />。