「ベルリンの戦い」の版間の差分

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当時、ベルリンには新兵器技術を研修・習得するために多くの民間人技術者や技術将校が所属する陸軍武官事務所や海軍武官事務所があった。[[大倉商事]]、[[三菱商事]]の商社関係者、芸術家、留学生などおよそ400名の日本人が在住していた。民間人の多くはベルリン郊外に避難した。ベルリンの南西80km のマールスドルフにある城に120名の日本人が篭城した。このような避難所は他にも数ヵ所あった。
 
4月13日、ドイツの航空機体調査を担当している海軍武官事務所の[[永盛義夫]]技術中佐、[[樽谷由吉]]技術大尉は車でベルリンを離れ、[[ペーネミュンデ]]南方の[[ロストック]]にある[[ハインケル]]社の工場で、ジェット機の技術資料を入手し、4月末まで同地に留まった後、[[中立国]][[スウェーデン]]へ脱出した。翌4月14日、駐独ドイツ日本大使の[[大島浩]]以下外務省関係者と大使館付武官も、自動車11台に分乗し、ベルリンを離れ、[[バート・ガスタイン]](現オーストリア領)へ避難した<ref>吉村昭『深海の使者』、文藝春秋<文春文庫>、pp.330-331。</ref>。
 
== 脚注 ==
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