「1972年の野球」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
5-9月の動きを加筆
m編集の要約なし
180行目:
* [[4月7日]] - [[第44回選抜高等学校野球大会]]の決勝戦が[[阪神甲子園球場]]で行われ、[[東京都]]の[[日本大学櫻丘高等学校|日大櫻丘高校]]が[[広島県]]の[[広島県立広島商業高等学校|広島商]]に3対1で勝利し、初優勝達成。
* [[4月11日]] - [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]の[[福富邦夫]]がシーズン公式戦開幕戦の対[[中日ドラゴンズ]]戦で、セ・リーグ史上初の開幕戦代打本塁打を記録する<ref>週刊ベースボール2012年4月16日号96ページ</ref>。
* [[4月18日]] - [[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]の[[野村克也]]が対[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]](大阪)戦で通算1500打点を記録<ref name="nn362"> 南海ホークス刊『南海ホークス四十年史』362ページ</ref>。
* [[4月21日]] - [[阪神タイガース]]の選手兼任監督の[[村山実]]が指揮権をヘッドコーチの[[金田正泰]]に委譲
* [[4月27日]] - ヤクルトの[[城戸則文]]が対阪神戦(神宮)でNPB史上79人目の通算1000安打<ref name="yshis">[http://www.yakult-swallows.co.jp/company_info/history/1970.html 球団のあゆみ 1970年代]ヤクルト球団公式サイト</ref>
186行目:
 
=== 5月 ===
* [[5月3日]] - [[阪急ブレーブス]]の[[福本豊]]が西宮球場での対東映4回戦でパ・リーグ新記録となる1試合5盗塁を記録<ref>毎日新聞1972年5月4日13面「走った!!走った!!福本5盗塁パ・リーグ新」毎日新聞縮刷版1972年5月p93</ref>
* [[5月4日]] - ロッテの[[西田孝之]]が東京球場での対南海5回戦の6回表に得津高宏に変わって右翼の守備につき、プロ通算1000試合出場達成<ref>毎日新聞1972年5月5日17面「ロッテ西田が千試合」毎日新聞縮刷版1972年5月p129</ref>。
* [[5月7日]] - 川崎球場での大洋対広島6回戦で、3回表2死から[[水谷実雄]]がカウント2-3からボールになるも水谷と、球審の[[岡田功]]が四球と気づかずそのまま打席に立ち、8球目がストライクの見逃し三振を喫する<ref>毎日新聞1972年5月8日13面「四球気づかず三振」毎日新聞縮刷版1972年5月p181</ref>。
212行目:
* [[7月20日]] - この日でセ・パとも前半戦を終了、阪神が首位で折り返し、巨人は1964年以来8年ぶりに2位で折り返し<ref>毎日新聞1972年7月21日13面「阪神 阪急 首位で後半戦へ」毎日新聞縮刷版1972年7月p633</ref>。
=== 8月 ===
* [[8月1日]] - 南海は大阪球場での対東映15回戦で4-2と勝利、この日4得点を記録してパ・リーグタイ記録となる73試合連続得点を達成<ref>毎日新聞1972年8月2日16面「南海は73試合連続得点(パ・タイ)」毎日新聞縮刷版1972年8月p46p46</ref>。
* [[8月2日]] - ヤクルトの[[アルト・ロペス]]が神宮球場での対中日ダブルヘッダー18回戦の7回裏に9号本塁打を放ち、プロ野球史上69人目の通算100本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年8月3日12面「1イニング2ホーマー 大島 猛攻の口火と満塁」毎日新聞縮刷版1972年8月p76</ref>。
* [[8月4日]] - ロッテの[[池辺巌]]が東京球場での対南海15回戦の1回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年8月5日12面「池辺が通算100号」毎日新聞縮刷版1972年8月p136</ref>。
* [[8月8日]] - 広島の[[山本一義]]が神宮球場での対ヤクルト14回戦の9回表に14号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年8月9日13面「山本一が150号」毎日新聞縮刷版1972年8月p247</ref>。
* [[8月14日]] - 広島の[[外木場義郎]]が広島球場での対大洋19回戦の4回表に[[ジョン・シピン]]から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成<ref>毎日新聞1972年8月15日13面「外木場が千三振奪取」毎日新聞縮刷版1972年8月p425</ref>。
* [[8月23日]] - [[第54回全国高等学校野球選手権大会|全国高等学校野球選手権大会]]の決勝戦が行われ、[[大分県]]の[[大分県立津久見高等学校|津久見高校]]が[[山口県]]の[[山口県立柳井高等学校|柳井]]に3対1で勝利し、初優勝達成。
* [[8月19日]] - 東映の[[張本勲]]が平和台球場での対西鉄ダブルヘッダー夜間の20回戦の4回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成<ref>毎日新聞1972年8月20日15面「張本が二千本安打」毎日新聞1972年8月p577</ref>。
229行目:
=== 9月 ===
* [[9月1日]] - ロッテが大阪球場での対南海21回戦に2-3と敗戦し、球団史上初の9連敗を記録<ref>毎日新聞1972年9月2日14面「ロッテ・監督さんはクヨクヨせぬが 生まれて初めて9連敗」毎日新聞縮刷版1972年9月p50</ref>。
* [[9月7日]] - 東映の張本勲が後楽園球場で対ロッテ24回戦の8回裏に29号本塁打を放ち、プロ通算350号本塁打を達成<ref>毎日新聞1972年9gつ9月8日16面「張本、5人目の350号」毎日新聞縮刷版1972年9月p226</ref>。
* [[9月13日]] - 巨人の[[柴田勲]]が後楽園での対阪神20回戦の7回裏に三盗を決め、プロ通算400盗塁を達成<ref>毎日新聞1972年9月14日17面「柴田が400盗塁 4人目」毎日新聞1972年9月p417</ref>。
* [[9月20日]] - ロッテの[[有藤通世]]が西京極球場での対近鉄19回戦の6回表に27号本塁打を放ち、プロ通算100号を達成<ref>毎日新聞1972年9月21日17面「有藤が通算100号」毎日新聞縮刷版1972年9月p607</ref>。
* [[9月21日]] - パ・リーグのオーナー懇談会が午後5時より丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、ロッテのオーナーの中村長芳が(1)現状ではセ・パ両リーグの統合は困難(2)パ・リーグとしては現状の2リーグ制を支持し当面はリーグ振興のため努力する、と報告<ref>日本経済新聞1972年9月22日21面「全会一致で二リーグ制維持 パ・オーナー懇談会」日本経済新聞縮刷版1972年9月p747</ref>。
* [[9月24日]] - 大洋監督代行の青田昇が胆石で入院。コーチの宮崎剛が代行に。
* [[9月26日]] - 阪急が西宮球場での対南海23回戦に6-3と勝利し、2年連続5度目のパ・リーグ優勝<ref>毎日新聞1972年9月27日17面「阪急ゴール 2年連続5度目」毎日新聞縮刷版1972年9月p799</ref>。
410行目:
 
{{各年の野球}}
 
{{Baseball-stub}}