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[[File:明末清兴.jpg|thumb|right|250px|明末の山海関周辺]]
[[File:Shanhaiguan.gif|thumb|right|250px|明末の山海関全体図]]
'''山海関'''(さんかいかん、[[満州語]]:Šanaha furdan)は、[[万里の長城]]の一部を構成する[[要塞]]。[[河北省]][[秦皇島市]][[山海関区]]に所在。[[華北]]と[[中国東北部|東北]]の境界である、河北・[[遼寧省]]境が[[渤海]]に会する位置にある。2009年に中国政府が遼寧省虎山の[[虎山長城]]が長城の東端と訂正するまで、山海関から延びた城壁が海岸から突き出た「老龍頭」が長城の東端とされていた。「天下第一関」と称されるが、これは山海関の著名性を表したものではなく、東から数えて最初の関所であったことを示す。
 
[[明|明代]]は山海関より西側を「関内」と称し、東側の満洲を「関東」もしくは「関外」といった。かつて日本の租借地であった[[関東州]]や、そこに駐留した[[関東軍]]の名称もこれに由来する。