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'''ギオラ・エプスタイン'''('''Giora "Hawkeye" Epstein'''、:ヘブライ表記: '''גיורא אפשטיין'''、改名して'''エベン'''、'''Giora Even''' :ヘブライ表記: '''גיורא אבן‎'''、[[1938年]]生まれ)は[[イスラエル空軍]]のパイロットで、イスラエル空軍の最高の[[エース・パイロット]]の1人である。17機を撃墜し、その内の16機はエジプト空軍のジェット戦闘機であった。1963年から59歳で退役する1997年まで、イスラエル空軍で働き、退役後は[[エル・アル航空]]のパイロットを務めた。現役中は敵国による暗殺を恐れ、「G大佐」という偽名で呼ばれていた。
 
1956年にイスラエル防空軍に入隊する。心臓の診断でパイロットとしては採用されず、パラシュート部隊で軍務をスタートさせた。パラシュートのデモンストレーションをする間に、[[ヘブライ語]]で岩という意味のエベンに改名した。1959年に一旦、軍務を離れ、2年後にパイロットを再びめざし、医師の許可を得た。パイロットの訓練を始めるとその卓越した視力から「鷹の目」(Hawkeye)の異名をえた。普通のパイロットのほぼ3倍の能力をしめし、40km先の航空機を発見することができた。イスラエル空軍で最も長い歴史を持つ戦闘機部隊である[[第101飛行隊 (イスラエル空軍)|第101飛行隊]]に配属され、[[第三次中東戦争]]中の1967年6月6日、エジプト空軍の[[Su-7 (航空機)|スホーイ Su-7]]を撃墜したのが最初の撃墜記録で、その後の1970年までつづいた「[[消耗戦争]]間に、[[MiG-17 (航空機)|MiG-17]]、Su-7と2機の[[MiG-21 (航空機)|MiG-21]]を撃墜した。
 
1973年の[[第四次中東戦争]]では10月18日から20日の間にMi-8ヘリコプターと8機のジェット戦闘機を撃墜した。2機のSu-7、2機のSu-20、4機のMiG-21であり10月24日に死海近くの戦いで3機のMiG-21を撃墜した。エプスタインはこれらの撃墜を[[ミラージュIII (戦闘機)|ミラージュIII]]と[[ネシェル (航空機)|IAI ネシェル]]で行った。イスラエルの殊勲章を受勲し、60歳になるまで現役の戦闘機パイロットとして働いた。イスラエル空軍を退役後はエル・アル航空のパイロットを務めた。
 
<references />==外部リンク==
*[http://aces.safarikovi.org/victories/israel.html イスラエル軍のパイロットの撃墜記録]