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柔道は3歳の時に兄の影響で始めた<ref name="名鑑"/>。世界選手権で2度3位になった[[小野卓志]]とは石下町体育協会柔道部で同期だった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/feature/mito1217601696346_02/news/20080806-OYT8T01037.htm 柔道 鈴木桂治、小野卓志選手 挑む 北京五輪] [[読売新聞]] 2008年8月7日</ref>。高校時代より国士舘のエースとして頭角を現すも、同階級の絶対的エースとして活躍していた[[井上康生]]の陰に隠れる存在であった。初出場となった2003年の世界選手権では無差別級で出場し優勝するも、自身はあくまで100kg級での五輪出場にこだわった。だが、2004年に100kg超級に転向、全日本選手権では決勝で初めて井上を破り(団体戦では対戦があり1999年全日本学生柔道体重別団体優勝大会にて初対戦で初勝利する)初優勝、[[棟田康幸]]との熾烈な代表争いを制し、2004年8月の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]100kg超級代表に選出される。アテネでは金メダルを獲得。2005年の世界選手権では階級を100kg級に戻して優勝。
 
2008年8月、[[北京オリンピック]]では日本選手団(全スポーツ)の主将を務めた。オリンピック2階級制覇を目指し100kg級に出場したが、[[ナイダン・ツブシンバヤル]]({{MGL}})の繰り出した[[双手刈|双手刈り]]に1分26秒で一本負け(ナイダンは金メダルを獲得)。敗者復活戦でも、1回戦で[[:fr:Benjamin Behrla|ベンヤミン・ベールラ]]({{GER}})に34秒で一本負けと、北京オリンピックでは二試合続けて短時間で一本負けで終わった。
 
その後、100kg超級に階級を上げて現役続行を表明。所属する平成(旧平成管財)の柔道部の廃部にともない、2009年4月から母校の国士舘大体育学部武道学科専任講師に就任。