「出﨑統」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎絵コンテへのこだわりと作品の独自解釈: 雪室も解説で出崎を論難してたかと。別の著だったか?
→‎絵コンテへのこだわりと作品の独自解釈: 出典付き記事を編集する場合は「出崎はしていたはず」ではなく明確な出典を記して編集して下さい
69行目:
正式にクレジットされた、ないしは担当したことが明らかな絵コンテの合計本数は500本超。日本アニメ界屈指の分量であり、これを上回る本数をこなしたのは富野や[[奥田誠治 (アニメーション演出家)|奥田誠治]]など数人にすぎない。ただし出﨑が彼らと大きく異なるのは、担当した全本数のうち約9割が自身の監督作品<ref group="註">シリーズを統一する総監督が不在のまま、いわば「各話監督制」で制作された『はじめ人間ギャートルズ』『元祖天才バカボン』での各話演出分も含む。</ref>における絵コンテであることである<ref group="註">富野の場合は半分程度が、また奥田の場合は総本数の大半が、他の監督の元での各話演出、あるいは純粋な絵コンテマンとしての制作となっている。</ref>。
 
「原作は、ある新しい世界を作るためのきっかけ」が持論<ref>[[#DIRECTOR'S2007|DIRECTOR'S2007]]、P.17</ref>。原作つき作品を異なる展開に改変するのはもとより、脚本家が書き上げ会議で承認されたシナリオ決定稿すら叩き台として扱い、最終的なストーリーとセリフは絵コンテ段階で独自解釈による物語の咀嚼を行って決定した。アニメ界の先輩である[[杉井ギサブロー]]が、そんなに脚本を変えるなら最初から自分で書けばどうかと質問した際、出﨑は、他人の脚本をもとに自分のアイデアが生まれるので、他人の脚本は必要だが、その通りに進める必要も感じない旨を述べたとのことである<ref name="[[#アニメージュ201106|アニメージュ201106]]、P.143">[[#アニメージュ201106|アニメージュ201106]]、P.143</ref>。この脚本の変更に対し、『[[あしたのジョー]]』では[[山崎忠昭]]と[[雪室俊一]]、『[[ガンバの冒険]]』では馬嶋満、『[[あしたのジョー2]]』では[[大和屋竺]]が抗議して途中降板している。両作に携わった[[飯岡順一]]は「自ら脚本を書けばよいのに、脚本がなければカットが割れない。絵コンテが描けない」と評している<ref>飯岡順一『私の「ルパン三世」奮闘記 アニメ脚本物語』河出書房新社、2015年</ref>
 
絵コンテ段階で原作や脚本から離れた作品になる理由を、兄の出﨑哲は「出﨑が登場人物に深く感情移入するため」と語る<ref name="[[#新潮2011|新潮2011]]、P.179">[[#新潮2011|新潮2011]]、P.179</ref>。出﨑作品においては、キャラクターの容姿や性格の設定は必ずしも原作通りではない。たとえば[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]原作の『宝島』に登場する悪役[[ジョン・シルバー]]を、出﨑は「海賊の親分=ロマンの塊」との考えから、原作の記述よりはるかに容姿端麗で、善悪を超越した「男の中の男」に設定している<ref>DVD『宝島MEMORIAL BOX2』(ケイエスエス、2001年11月29日発売)ライナーノーツ</ref>。こうして作り上げたキャラクターにさまざまな感情を移入しながら絵コンテを描き進めることで、結果として出﨑はストーリーを改変したのである。