「吉野ロープウェイ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
6行目:
[[近鉄吉野線]]の前身である[[吉野鉄道]]が[[吉野駅 (奈良県)|吉野駅]]までを開業させた翌年、[[内田政男]]と地元の有志が[[1929年]](昭和4年)3月12日に千本口 - 吉野山間を開通させた。
 
搬器や鋼索などは更新されているが、支柱は1928年(昭和3年)に建築されたものをそのまま使用している。その方式もRA型ロックドレールロープ式と、今となっては懐古的なものが更新されずに残っている。戦時中に[[不要不急線]]として[[金属供出]]の対象となり廃止撤去された旅客索道は多いが、[[吉野山]]に住む住民用であるとともに、[[如意輪寺]]にある[[後醍醐天皇]]塔尾陵参拝の足でもあったことが、休廃止の対象を免れ架設当時の施設をそのまま残す要因となった<ref>『奈良県の近代化遺産 —奈良県近代化遺産総合調査報告書—』 奈良県教育委員会、平成26年3月、119頁。</ref>
 
「当時のわが国の材料力学、金属材料技術の優秀さを示す証といえる」ことから[[日本機械学会]]により2012年度の[[機械遺産]]に認定された<ref>[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072201001665.html 機械遺産にウォシュレット選定 学会、新たに5件] - 47NEWS、共同通信、2012年7月23日。</ref><ref>[http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/note.html 2012年度機械遺産を認定致します] - 日本機械学会、2012年7月24日閲覧。</ref>。
なお、[[吉野山]]に住む住民の足でもあるため<ref>このため他の索道の多くが[[不要不急線]]として廃止撤去されたが運転を継続できた</ref>、[[定期乗車券]]が販売される。ただし運行時間は短い。
 
なお、[[吉野山]]に住む住民の足でもあるため<ref>このため他の索道の多くが[[不要不急線]]として廃止撤去されたが運転を継続できた</ref>、[[定期乗車券]]が販売される。ただし運行時間は短い。
[[日本機械学会]]により2012年度の[[機械遺産]]に認定された<ref>[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072201001665.html 機械遺産にウォシュレット選定 学会、新たに5件] - 47NEWS、共同通信、2012年7月23日。</ref><ref>[http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/note.html 2012年度機械遺産を認定致します] - 日本機械学会、2012年7月24日閲覧。</ref>。
 
== 路線データ ==