「学校法人愛知淑徳学園」の版間の差分

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梅子は三輪家の娘が学校不足で進学できないことを知り、娘婿の小林清作を京都から呼び寄せ、三輪の資金援助を得て、短期間のうちに学校創設を実現。
1905(明治38年)4月15日、[[西新町]](現、[[東区 (名古屋市)|東区]]東桜1丁目)に、校主に三輪常七、校長に小林清作、幹事兼舎監森梅子の陣容で愛知淑徳女学校を開校した。[http://black.ap.teacup.com/syumoku/64.html]。
 
== 建学の精神 ==