「バルフルール岬とラ・オーグの海戦」の版間の差分

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|combatant1={{ENG927}}<br />{{NLD1581}}
|combatant2={{FRA987}}
|commander1={{Flagicon|ENG}} [[エドワード・ラッセル (初代オーフォード伯)|エドワード・ラッセル]]<br />[[ファイル:Prinsenvlag.svg|25px]][[フィリップス・ファン・アルモンデ]]
|commander2=[[ファイル:Pavillon royal de France.svg|25px]][[アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン|トゥールヴィル伯アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン]]
|strength1=[[戦列艦]]82隻
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一方、英蘭連合は[[ワイト島]]の[[セント・ヘレンズ泊地]]に集結していた。[[ラルフ・デラヴァル]]提督はユリウス暦5月8日にワイト島に到着し、翌日には海峡の西側で船団護衛と[[ガーンジー島]]への兵員輸送を行っていた[[リチャード・カーター]]提督が加わった。オランダは4月に[[フィリップス・ファン・アルモンデ]]提督の艦隊を派遣し、当時は南下を続けていた。
 
[[ジョン・アシュビー]]提督はユリウス暦4月27日にノール泊地を出航、[[エドワード・ラッセル (初代オーフォード伯)|エドワード・ラッセル]]提督の出発は29日まで遅れたが、ガル海峡の危険な航路を通って時間を稼いだ。ラッセルはダウンズでアルモンデの艦隊と、ダンジェネスで別のオランダ戦隊と合流した。セント・ヘレンズに到着したのは5月の第2週で、それから数日間に更なる増援も到着し、14日には戦列艦80隻以上の艦隊となっていた。このため英蘭艦隊が分散しているうちにフランス艦隊を集中するという戦略は交戦の前に失敗していた。
 
しかしルイ14世はトゥールヴィルにとにかく海戦することを命じ、作戦が中止になることはなかった。