「堀田正俊」の版間の差分

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== 暗殺陰謀説 ==
正俊が暗殺される直前に綱吉は[[生類憐れみの令]]を布くことを表明しており、正俊はこれに反対していた。また、正俊には綱吉を将軍に就任させた功績があり、大きな発言力を持っていたと推測される。そのため両者の間に溝が生まれたことから、「綱吉による陰謀説」がある<ref>海音寺潮五郎「大老堀田正俊」(「改造1936年1月号)。; 小川和也『儒学殺人事件』2014</ref>。またこの事件以降、綱吉は奥御殿で政務を執るようになり、老中との距離が生じた。そのため、両者を連絡する[[柳沢吉保]]・牧野成貞ら[[側用人]]が力を持つこととなった。
 
== 登場作品 ==
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== 参考文献 ==
* [[下重清]]『幕閣譜代藩の政治構造』[[岩田書院]]、2006年
* [[小川和也]][http://ci.nii.ac.jp/naid/120001088075 〈「天和の治」における将軍像と『牧民忠告諺解』--大老・堀田正俊の思想〉]『出版と社会変容』3, 2007年
 
* 小川和也[http://ci.nii.ac.jp/naid/120003895364 〈天和度朝鮮通信使と大老・堀田正俊の「筆談唱和」〉]『日韓相互認識』5, 2012年
* 小川和也『儒学殺人事件』[[講談社]]、2014年
== 脚注 ==
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