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東博と科博の沿革が混乱していたのを整理
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}}</ref>。[[ウィーン万国博覧会]]への出品準備として[[1872年]](明治5年)に開かれた湯島聖堂博覧会(文部省博物館)が日本出品館の始まりとされ、[[東京国立博物館]]はこの時をもって館の創立に、している<ref>[http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=144 「館の歴史 湯島聖堂博覧会」](東京国立博物館サイト)</ref>。文部省博物館は翌年には[[太政官]]所轄の「博覧会事務局」改編。1875年(明治8年)、博覧会事務局から博物館と書籍館([[国立国会図書館]]の前身)が分離して文部省の轄に復帰し、前者は東京博物館と改称された。また博覧会事務局は[[内務省 (日本)|内務省]]管轄の博物館に改編され、東京にはこれら2系統の博物館が存在することとなるものの、明治8った<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318236.htm 『学制百二十史』「草創期の社会教育」](文部科学所管の[[サイト)</ref>。東京博物館]]に改称され、は1877年(明治10年はこれを上野公園内に移転して[[教育博物館]]改称された。この教育博物館は現在の[[国立科学博物館]]である<ref>[http://www.kahaku.go.jp/about/summary/history/index.html 科博の概要と沿革](国立科学博物館サイト)</ref>。なお、[[東京国立博物館]]は東京前述の内務省管轄の博物館を源流前身としつつもそれ教育博物館とは別に美術品展示を中心とする人文系の博物館として同じく上野公園内に設立され1882年(明治15年)に移転したもので、その建物はイギリス人の[[ジョサイア・コンドル]]の設計によるものとして知られるであった(関東大震災で倒壊)
 
博物館の多くは1975年代から急激に増え始め、1988年(昭和63年)に始まった「[[ふるさと創生事業]]」では各地で博物館の新設ラッシュが起き、1980年代後半の[[バブル期]]まで増え続け、1998年(平成10年)を過ぎると会館数は急激に減少していった<ref>竹内誠監修『知識ゼロからの博物館入門』幻冬舎 2010年 196ページ)</ref>。