「慶父」の版間の差分

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魯(現:[[中華人民共和国|中国]][[山東省]]南部)の第15代君主桓公の次男として生を受け、嫡兄で第16代君主[[荘公 (魯)|荘公]]の[[重臣]]となり、他の兄弟の[[叔牙]](僖叔)・[[季友]](成季)と共に代々三桓氏として魯の実権を握った。
 
[[紀元前686年]]、慶父は魯軍を率いて[[斉 (春秋)|斉]]軍と共に郕を包囲したが、郕が自分達魯軍を差し置いて斉軍に降伏した事に激怒し、斉軍を攻撃しようとして兄の荘公に止められたり、あるいは荘公夫人の[[哀姜(荘公夫人)|哀姜]](斉の[[桓公 (斉)|桓公]]の)と密通するなど、恐れを知らぬ傍若無人な公子であった。
 
[[紀元前662年]]、当時危篤だった荘公の後継として、慶父は三弟の叔牙の推挙を受けるが、[[子斑|公子斑]]を推挙していた四弟の季友に叔牙を自害させられたため、有力な与党を失った慶父は次期魯公候補から脱落してしまう。