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{{出典の明記|date=2012年1月|ソートキー=人2009年没}}
'''アルメン・レオーノヴィチ・タハタジャン'''('''タフタジャン'''、'''タクタジャン'''とも、{{lang-ru|Армен Леонович Тахтаджян}}, {{lang-hy|Արմեն Լևոնի Թախտաջյան}}<small>〈アルメン・レヴォニ・タハタジヤン〉</small>、[[1910年]][[6月10日]] - [[2009年]][[11月13日]])は[[ソビエト連邦]]・[[ロシア]]の[[植物学者]]。植物の[[進化]]・形態・[[分類]]、古植物学および[[植物相]]に関する業績で有名。
 
[[ロシア帝国]]{{仮リンク|エリザヴェトポリ県|ru|Елизаветпольская губерния}}[[シュシャ郡]]{{仮リンク|シュシャ|ru|Шуша}}に生まれ、[[ロシア連邦]][[サンクトペテルブルク]]で死去。
 
1932年、[[トビリシ]]のソビエト亜熱帯作物研究所を卒業。[[エレバン]]国立大学、[[アルメニア科学アカデミー]]植物学研究所、[[レニングラード国立大学]]、さらにレニングラードのコマロフ植物学研究所で研究した。[[被子植物]]の進化系統を研究し、これを重視した分類体系を1940年に発表した。これは西側では1950年以降に知られるようになった。50年代末からアメリカの植物学者[[アーサー・クロンキスト]]と進化系統や植物相の共同研究を行い、[[クロンキスト体系|クロンキストの分類体系]]はタハタジャンらの考えから強い影響を受けている。タハタジャンの分類体系は[[ストロビロイド説]]に基づき、クロンキストのそれに似ているがやや細かく分類される傾向がある。タハタジャンはまた植物相の地理分布に関する体系も発表している。[[ロシア科学アカデミー]]会員、[[米国科学アカデミー|アメリカ科学アカデミー]]外国人会員、ソビエト連邦植物学会会長(1973)、国際植物分類学会会長(1975)等を務めた。
 
{{Botanist|Takht.}}