「愚行権」の版間の差分

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'''愚行権'''(ぐこうけん、{{lang-en|the right to do what is wrong/the right of(to) stupidity)stupidity}})とは、たとえ他の人から愚かでつむじ曲りの過ちだと評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り邪魔されない自由のこと。
 
== 概要 ==
[[ジョン・スチュアート・ミル]]の『[[自由論 (ミル)|自由論]]』(1859年)の中で展開された功利主義と個人の自由に関する論考のなかで提示された概念であり、自由を構成する原則としての「他者危害排除の原則(to({{lang-en|to prevent harm to others)others}})」すなわち他の人から見て賢明であるとか正しいからと言って、何かを強制することは正当ではありえない、の原則から導出される一つの帰結としての自由として提示されたものである。
 
生命や身体など、自分の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限りで、たとえその決定の内容が理性的に見て愚行と見なされようとも、対応能力をもつ成人の自己決定に委ねられるべきである、とする主張である。
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== 権利の根拠と限界 ==
『[[自由論 (ミル)|自由論]]』によれば愚行権は次の論拠において正当化される。
# 個人の[[幸福]]への関心を最大に持つのは本人である
# 社会が彼に示す関心は微々たるものである、
# 彼の愚行についての彼の'''判断'''と'''目的'''への外部からの介入は、一般的推定を根拠とするだろうが、誤る可能性が高い
# よって彼自身のみ関わる事柄こそが、個性の本来の活動領域であって、この領域では他人の注意や警告を無視して犯す惧れのある誤りより、他人が彼にとっての幸福と見なすものを強要することを許す実害のほうが大きい。
 
一方でこの自由の主体たる人物は諸々の能力の成熟している成人であるべきであり、また社会的統制の実行を明確に回避しているわけではないこと、愚行の結果として受ける批判や軽蔑、拒否などは当人が引き受けなければならないことを主張する。ミルの自由論は自立と自律に対して倫理的にかなり厳しい主張をしており、[[結果主義]]や[[自己責任]]論を包含している。ミルの主張によれば、愚行を倫理的に非難することと法的に刑罰の対象とすることは別のことであり、刑罰は最低線の倫理からもたらされるとする。