「徳川埋蔵金」の版間の差分

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m →‎物的証拠: 『日本の埋蔵金 下』より 大義兵法秘図書の23年は入力ミスで24年が正解でした、これも『日本の埋蔵金 下』より
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=== 物的証拠 ===
徳川埋蔵金の存在を示す証拠として以下のようなものが挙げられている。
* [[徳川家康|東照権現]]の黄金像 (明治23年 源次郎の古井戸から出たとされる)
* 銅の皿 (明治23年 源次郎の古井戸から出たとされる)
* 大義兵法秘図書「たいぎへいほうのひずしょ」 (明治2324年 児玉惣兵衛宏則なる人物が書き残したとされる)
* 意味不明な文字や絵図が刻まれた3枚の[[銅]]版 (双永寺の床下から出たとされる)
* 直径が20メートルもある巨大な石灰の亀(昭和7年 (二代目義治が山中で発掘したとされる)
* 亀と同じ大きさの石灰の鶴 (昭和38年 亀の近くで発見したとされる)
* 万〆上帳「よろずしめあげちょう」 (源次郎が保管していたとされる)
 
=== 伝説の拡散 ===