「重岡孝文」の版間の差分

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== 人物 ==
小学校5年の時に柔道を始めた[[久留米市立久留米商業高等学校|久留米商業高校]]時代は「小内刈の重岡」との異名をとり、地区大会では重量級の[[坂口征二]]にもその小内刈で一本勝ちしたことがあるという。その後、[[東京教育大学]]に進学すると、1963年にはプレオリンピックとなる東京国際スポーツ大会の軽量級で優勝した。しかし、翌年の1964年[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]代表にはなれなかった。卒業後は大分県で高校の教員になると、1967年の[[1967年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝で[[松田博文]]に優勢勝ちして優勝を果たした。また、軽量級の選手ながら[[全日本選手権]]にも出場したことがある。その後、1985年には[[鹿屋体育大学]]の教員になり、2001年からは柔道部顧問を務めることになった。しかし、2005年には大学を去ることになった。今ではフランスで指導をしている
 
==主な戦績==