「羽州街道」の版間の差分

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== 別経路 ==
[[米沢藩]]は羽州街道を使わず、ほぼ現在の[[奥羽本線]]に沿い[[板谷峠]]を越えて[[福島市]]に出る経路をとっていた。この経路は[[板谷街道|米沢街道]]と呼ばれ、米沢から[[江戸]]に到るにはより近道であるが、羽州街道を使用しなかった理由を[[仙台藩]]との折り合い悪さに求める説もある。
 
[[享保]]16年([[1731年]])の[[地震]]で[[小原の材木岩]](下戸沢宿・渡良瀬宿間)が崩落した際、出羽各藩は一時期[[奥州街道]]の宮宿([[宮城県]][[刈田郡]][[蔵王町]])から分岐し[[笹谷峠]]を越え山形宿に至る経路を利用したことがある(笹谷越え[[出羽街道]])。