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[[ファイル:Negoroji Kogyodaishi Mausoleum.jpg|thumb|none|200px|奥の院・[[興教大師]]廟所]]
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'''根来寺(根來寺)'''(ねごろ
== 歴史 ==
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* 大師堂
* 木造[[大日如来]]坐像・[[金剛薩た|金剛薩埵]]坐像・[[尊勝仏頂]]坐像 - 大伝法堂に三尊として、中央に大日如来、左(向かって右)に金剛薩埵(こんごうさった)、右(向かって左)に尊勝仏頂を安置する。像高は順に350センチ、343センチ、335センチ。建物は江戸時代後期の再建だが、これらの三尊像は秀吉の焼き討ちをまぬがれたもので、大日如来像及び金剛薩埵像内の墨書から[[嘉慶 (日本)|嘉慶]]元年([[1387年]])から[[応永]]12年([[1405年]])にかけての制作と判明する。仏像彫刻衰退期の室町時代における佳作と評価されている。大日如来、金剛薩埵、尊勝仏頂の三尊の組み合わせは珍しく、中でも尊勝仏頂は彫像としては稀有の遺品である。この三尊の組み合わせは、覚鑁が高野山に建立した大伝法院にすでにあったことが知られ、彼独自の教義解釈による組み合わせと思われる。<ref>「新指定の文化財」『月刊文化財』370号、第一法規、1994</ref>
*絹本著色
=== 史跡 ===
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