「後藤亘」の版間の差分

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福島県出身。福島高校、東北大法学部卒業後<ref>{{cite news |title= 後藤亘 エフエム東京|author=|agency=|publisher=企業家人物辞典|date=|url=http://ijin.keieimaster.com/new/kaityou/742.html|accessdate=2015-7-3}}</ref>、同級生の多くが官僚や法曹界に進む中メディア界を志向し、[[東和映画]]を経て[[FM東海]](のち[[エフエム東京]])に入社する。1989年同社社長に就任。トップ在任時には洋楽中心から[[Jポップ]]中心の番組編成としたうえ、トークも増やす改編を断行。それによって[[聴取率]]を急伸させ、全ラジオ局で[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]に次ぐ2位へと躍進させた<ref>{{cite news |title=テレビのヨミカタ テレビ界のカリスマ、TOKYO MX後藤亘会長に聞く【後編】 「感性は勉強では養えない。良い意味で遊ぶことが大事です」|author=高堀冬彦|agency=|publisher=現代ビジネス|date=2015-6-24 |url=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43877?page=2|accessdate=2015-7-3}}</ref>。また1994年には、FM電波の空きを使い文字でニュースを流すシステムである[[見えるラジオ]]を開始するなど新たな技術にも着目してきた。
 
1997年6月には、報道重視の路線を取り視聴率面と営業面で大苦戦を強いられていたMXテレビ社長への就任を財界の一部から打診されたとされ、前例のないTOKYO FM社長と併任のまま着任した<ref>{{cite news |title=テレビ界のカリスマ、TOKYO MX後藤亘会長に聞く【前編】「東京情報の発信は大切ですが、ローカル感覚ではいけない」|author=高堀冬彦|agency=|publisher=現代ビジネス|date=2015-6-17 |url=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43770|accessdate=2015-7-3}}</ref>。そしてMXにおいても番組編成を改編したうえ、本社社屋を[[青海 (江東区)|青海]]の[[テレコムセンター]]からFM東京に近い[[麹町]]の半蔵門メディアセンター内に移転。報道重視の編成を取り止め、通販番組を多く編成することで、売上を高めた。また、いち早く[[マルチチャンネル|マルチ放送]]に参入するなど、新技術に関心が高いことで知られる。
 
== 概要 ==