「ジェイムズ・ブレイド」の版間の差分

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== 業績 ==
ブレイドは、外科医として十分な名声を得ていたためか、催眠によって名声を得ることは消極的であったが、彼の創出した理論と催眠という言葉は受け継がれた。特に彼の暗示説は、[[フランス]]、[[ナンシー]]に拠を構える{{仮リンク|アンブロワーズ・オーギュスト・リエボー|en|Ambroise-Auguste Liébeault}}に受け継がれた。彼を中心としたナンシー派は「小催眠」説を唱え、[[パリ]]・[[サルペトリエール病院]]の[[ジャン=マルタン・シャルコー]]の唱える「大催眠」説と対立したが、[[1889年]]にナンシー派が勝利することで、ブレイドの唱えた「暗示説」が現在にまで続くこととなる。
 
イギリス国内では特に、「催眠の父」と呼ばれている。[[1997年]]には、催眠療法の普及発展を目的とした「ジェイムズ・ブレイド協会」が設立した。