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{{参照方法|date=2014年11月}}
{{日本の氏族
|家名=高嶺御殿
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}}
[[ファイル:Prince_Sho_Kyo.JPG|thumb|right|浦添翁主の父・尚恭]]
'''高嶺御殿'''(たかみねうどぅん)は、[[尚恭]]・浦添王子朝良([[尚豊王]]長男)の娘・浦添[[翁主]](1629年12月9日(崇禎2年10月25日) - 1646年3月16日(順治3年1月29日))を元祖とする[[琉球王族]]。[[第二尚氏]]の分家。5世から高嶺[[間切]](現・[[糸満市]]高嶺地区)の[[按司地頭]]を務めた琉球王国の[[大名]]。
 
== 概要 ==
尚豊王の長男・朝良は[[王世子]]であったが、20二十歳で早世したため王位を継ぐことはなかった。その娘・浦添翁主が父の浦添[[間切]](現・[[浦添市]])を継承して高嶺御殿の元祖となった。浦添翁主は、[[小禄御殿]]支流・[[向氏内間殿内]]6世・勝連按司朝賢([[羽地王子朝秀]]の実弟)に嫁ぎ、長男・朝式を産んで2週間後に亡くなった。高嶺御殿は朝式が継いだ。
 
朝式は[[尚質王]]の三女・与那嶺翁主を妻に迎えたが翁主との間に男子ができなかったため(妾との間に[[庶子]]はいたが)、[[本部御殿]]の朝卓(本部王子朝平次男)を次女・思亀樽金の入婿に迎えて跡目とした。5世・朝兼のときに高嶺間切(現・[[糸満市]]高嶺地区)に転任し、それ以降高嶺御殿と称するようになった。6世・朝京の長女・真鍋樽金は[[尚哲]]の妃になった。廃藩置県後は、11十一世・朝教が[[沖縄銀行]]初代頭取、12十二世・朝光は[[沖縄タイムス]]社長に就いている。
 
== 系譜 ==
* 1世・浦添翁主
* 2世・浦添按司朝式(母・浦添翁主の家統を継ぐ)
* 3世・浦添按司朝卓([[本部御殿]]1世・本部王子朝平の次男。朝式の養子となる)
* 4世・浦添按司朝基
* 5世・高嶺按司朝兼
* 6世・高嶺按司朝京
* 7世・高嶺按司朝庸
* 8世・高嶺按司朝用
* 9世・高嶺按司朝義
* 10世・高嶺按司朝長
* 11十一世・高嶺朝教
* 12十二世・高嶺朝光
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会|date=1992年(平成4年)|title=沖縄県氏姓家系大辞典|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4040024707|ref=沖縄県氏姓(1992)}}
* {{Cite book|和書|author=宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)|date=1998年(平成10年)|title=沖縄門中大事典|publisher=那覇出版社|isbn=978-4890951017|ref=宮里(1998)}}
* {{Cite book|和書|author=比嘉朝進|date=2005年(平成17年)|title=士族門中家譜|publisher=球陽出版|isbn=978-4990245702|ref=比嘉(2005)}}
 
== 外部リンク ==
*[http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B1241188/1/vol05/htm/kafu-s25.htm 向姓家譜(高嶺家)]{{リンク切れ|date=2014年3月5日 (水) 03:47 (UTC)}}
 
== 関連項目 ==