「プジョー・スポール」の版間の差分

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2005年、プジョーはグロンホルムのパートナーとして[[フォード・モーター|フォード]]から[[マルコ・マルティン]]を獲得した。グロンホルムは8月のフィンランドで勝利したが、その後のイギリスでマルティンが事故を起こし、コ・ドライバーの[[マイケル・パーク]]が死亡した。マルティンはWRCを引退することとなった。[[ダニエル・カールソン]]と[[ニコラ・ベルナルディ]]が彼に代わって残りのイベントをドライブした。グロンホルムはシーズン2勝目を日本で挙げ、ランキング3位となった。プジョーはマニファクチャラー2位でシーズンを終えた。2005年末、PSAプジョー・シトロエンはWRCからワークスの2チームを撤退することを発表した。シトロエンは新車開発のため1年間活動を休止し2007年に復帰したが、プジョーが復帰することは無かった。
 
プジョー・スポールは新たな[[スーパー2000]]のレギュレーションに合わせた[[プジョー・207|プジョー・207 S2000]]を開発、[[クロノス・レーシング]]に託して[[インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ|IRC]]に参戦した。[[エンリケ・ガルシア=オヘダ]]が2007年、[[ニコラス・ヴィヨズ]]が2008年、[[クリス・ミーク]]が2009年と、3年連続でドライバーズタイトルを獲得した。しかし2010年はライバル[[シュコダ]]に敗れタイトル防衛はならなかった。翌年はニュースペックの[[プジョー・207|プジョー・207 S2000]]を投入し開幕戦モンテカルロでは[[ブライアン・ブフィエ]]がデビューウィンを果たしここから波に乗ると思われたが、またしても[[シュコダ]]に敗れタイトル獲得を阻止できなかった。その後IRCは2012年で終了したが2013年からは[[ヨーロッパ・ラリー選手権|ERC]]にワークス参戦。しかし未勝利に終わった。そして2014年は新規定R5に沿って開発された[[プジョー・208|プジョー・208ターボ16]]が第3戦アクロポリスラリーでデビューした。ドライバは2012年のSWRCチャンピオンエース[[クレイグ・ブリーン]]が見事デとWRCの登竜門JWRCに出場経験を持つケューウィを飾・アブリングの2台となった。
 
デビュー戦となったERC第3戦アクロポリスではブリーンが見事なデビューウィンを果たした。しかしその後はメカニカルトラブルが多発しどちらか1台が完走するのがやっとという状態だった。結局デビューイヤーでのタイトル獲得は果たせずブリーンはランキング3位、アブリングは6位でシーズンを終えた。
2015年はブリーンをエースドライバーとしアブリングに代わり前年ボラン・プジョーカップでチャンピオンに輝いたチャールズ・マーティンの2台体制で挑む。
 
===スポーツカーへの復帰===
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