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=== 原爆の日と核廃絶についての主張 ===
{{要出典範囲|日本の[[反核運動]]の一部は、きわめて政治的に展開されてきたとし、冷戦時代にはソ連や中国の共産主義勢力との連帯を求める者が西側陣営の核だけを非難するという偏った運動がなされてきたと批判している<ref name|date="blog1" />2015年9月}}
 
[[秋葉忠利]]広島市長が2002年10月13日から10月20日までアメリカへ出張し、10月16日、アメリカン大学で「拡大する核の脅威」と題するスピーチを行った際、北朝鮮が前日にウラン濃縮による核兵器開発を認めたことに、触れなかったことについて、古森は『産経新聞』(2002年12月29日)において、「米国や日本の反核を主張しながら、北朝鮮の核兵器には無反応だった」として秋葉を批判した<ref>[http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1109747/allcmt 【緯度経度】「北」には触れぬ“反核運動”2002年12月29日 産経新聞 東京朝刊 国際面]</ref>が、秋葉は日本に帰国後の2002年10月22日には北朝鮮に対して抗議文を送っている<ref name="blog1">[http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1111573554292/index.html 北朝鮮の核兵器開発に対する抗議文(2002.10.22)]{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref>。
 
2003年、2004年、2005年の平和宣言においては、核兵器開発疑惑を強くもたれていた北朝鮮の核にも言及するようになり、長崎市も2006年から核保有国全てに言及するようになった。
 
しかし、北朝鮮が核実験を行った2006年以降、2007年、2008年と秋葉市長は平和宣言で北朝鮮に言及せず、核保有国への批判は米国ブッシュ政権へ集中するようになった。古森や『産経新聞』は2009年8月5日の社説「主張」などで秋葉の態度を批判し、また『読売新聞』も社説にて同様の批判をおこなった。結果的に2009年8月6日の平和宣言で秋葉は再び北朝鮮に言及するようになった<ref>広島市 [http://www.city.hiroshima.jp/icity/browser?ActionCode=genlist&GenreID=1111135324319 核実験への抗議文]</ref>。ただし、広島市が北朝鮮の核実験に対して沈黙をまったく批判していないわけではなく、全ての国の核実験を行った国に対してはその都度抗議は行っている<ref>[http://www.city.hiroshima.jp/icity/browser?ActionCode=genlist&GenreID=1111136426891 核保有国等への要請文・抗議文]</ref>。
 
古森は米側に対しても日本に対する二度の原爆投下への厳しい批判を表明している。1994年12月にCNNの討論番組・クロスファイアに出演した古森は司会のジョン・スヌヌ元大統領首席補佐官や政治評論家のマイク・キンズレー、チャールズ・スウィーニー退役少将、歴史学者のガー・アルペロビッツと激しい論争を繰り広げた。