「マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ」の版間の差分

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|各国語表記 = Mahendra Bir Bikram Shah
|君主号 =ネパール王
|画像 = Mahendra Bir Bikram Shah.jpg
|画像サイズ =230px
|画像説明 =マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
|継承者 =
|継承形式 =
|配偶者1 =[[インドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー|インドラ]]
|配偶者2 =[[:en:Queen Ratna of Nepalラトナ・ラージャ・ラクシュミー・デビー|ラトナ]]
|子女 ={{Collapsible list|title = 一覧参照|シャンティ<br />シャラダ<br />[[ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ビレンドラ]]<br />[[ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ギャネンドラ]]<br />[[:en:Dhirendra of Nepal|ディレンドラ]]<br />ショバ}}
|王家 =
[[1959年]]、[[憲法]]を公布してネパール初の[[総選挙]]を実施した。選挙の結果[[ネパール会議派]]が大勝し、[[ビシュエシュワル・プラサード・コイララ]]内閣が誕生した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.645</ref>。
 
しかし、改革を進めようとする内閣と、権力を維持したい国王は次第に対立を深め、[[1960年]]、マヘンドラはクーデターを起こして憲法を停止し、内閣・議会を解散した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.648</ref>。また、コイララ首相、[[マートリカ・プラサード・コイララ]]、[[ギリジャー・プラサード・コイララ]]、[[クリシュナ・プラサード・バッタライ]]、[[マン・モハン・アディカリ]]、[[クンワル・インドラジット・シンハ]]、[[ガネーシュ・マン・シンハ]]、[[タンカ・プラサード・アーチャリヤ]]、[[スーリヤ・プラサード・ウパディヤイ]]ら政党指導者を逮捕し、国王首班による大臣、副大臣らによる内閣を組閣した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.648</ref>。
 
[[1962年]]、政党の禁止、[[パンチャーヤト制]]などを定めた新[[憲法]]を公布した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.650</ref>。また、首相の任免は国王が行った。以後、ネパールは[[1990年]]に次代の[[ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ビレンドラ]]国王が民主化を行うまで複雑な[[間接民主制]]が行われた。
*[[ゴルカ朝]]
 
{{ゴルカ朝の君主|||[[ネパール|1955ネパール王]]:1955年 - 1972年}}
{{DEFAULTSORT:まへんとら ひる ひくらむ しやは}}
[[Category:ネパール王国の君主]]
[[Category:ネパールの国王]]
[[Category:アジアの紙幣の人物]]
[[Category:大勲位菊花章頸飾受章者]]