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この中で吉川は「''ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない''」と喝破した。読者の中にはそれまで劉備・関羽・張飛らを主人公と考えていた者も多く、この指摘に面食らう向きもあったが、概ねこの吉川の主張は受け入れられている<ref>[[高島俊男]]『水滸伝の世界』([[大修館書店]]、[[1987年]] ISBN 4-46-9230448)87-88頁、ちくま文庫で再刊。渡邉『三国志』、まえがき ii-iii頁、(中公新書、2011年)など。</ref>。
== 影響および派生作品 ==
{{main|三国志#日本における三国志の受容と流行}}
本作の影響力は非常に大きく、その後の作家が書く三国志小説も多かれ少なかれ、吉川作品を意識したものとなった。中国文学者の中には、吉川の『三国志を』は変に日本人向けにアレンジした小説であると顔をしかめる向きもあったものの<ref>たとえば高島2000、51頁など。</ref>、その影響力および普及力は広く認められた。中国文学研究の泰斗[[吉川幸次郎]]は1962年に、『演義』ではなく正史『三国志』を元に「三国志実録」を発表、曹操の再評価をさらに高めていく。また1968年の[[柴田錬三郎]]による『柴錬三国志 英雄ここにあり』では、劉備に若い女性白芙蓉が従うなど吉川の影響が見られ、さらに本作よりも早く、諸葛亮が出師の表を上奏するまでで終了する(その後、柴田は続篇の『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』で孔明死後の[[姜維]]中心の物語も書いている)。その後も[[陳舜臣]]による『[[秘本三国志]]』([[1977年]])、[[北方謙三]]『[[三国志 (北方謙三)|三国志]]』([[1996年]])をはじめ、日本で刊行された三国志小説には諸葛孔明の死で物語を終焉するものが多い。
[[横山光輝]]による漫画『[[三国志 (横山光輝)|三国志]]』60巻は本作をベースとした作品である。横山は中学生の時に学校の図書館で本作を読み、感銘を受けた。また、弟が大学受験の頃に本作を読んでおもしろ面白かったとつぶやいたのがヒントとなり、『三国志』の連載を始めたという。冒頭部の芙蓉姫のエピソードなども本作からそのまま採られており、全体として「吉川三国志」の漫画化といえよう。単行本第1巻は昭和491974年(1974年)に[[潮出版社]]から出版され、一時中断を挟みながらも昭和61年(19861986年)に全60巻が完結した。大人向けとして書かれた本作に対して、子供に『三国志』の世界を伝える役割を果たし、日本の三国志ブームを加速させた<ref>雑喉2002、206-207頁。</ref>。[[コーエー|光栄]](現[[コーエーテクモゲームス]])から発売されたコンピュータゲーム『[[三國志シリーズ]]』もブームに貢献したが、シリーズ2作目の『[[三國志II]]』(1989年発売)では「芙蓉姫」や「かこうじゅん」の読みなど、本作の影響が見られる。また[[1982年]]から2年間放送された[[日本放送協会|NHK]]『[[人形劇 三国志]]』はストーリー的には本作の影響は少ないが、やはり諸葛孔明の死をもって物語を終える構成となっている。
==脚注==
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