「パワン・クマール・チャムリン」の版間の差分

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しかしチャムリンはバンダーリーの独裁的な性格や特権層との癒着に反発して党を割り<ref name=mine>峯島(2006)、115頁。</ref>、[[1993年]]3月4日に[[シッキム民主戦線]](SDF)を創設、自ら総裁となった<ref name=SDF/>。反バンダーリー勢力の取込みに成功したチャムリンは、SDF成立直後の[[1994年]]に早くもバンダーリー率いるSSPを破って州政権を獲得した。これによりチャムリンが州首相に就任している。勝因としては、約15年に及ぶバンダーリー政権が村落開発を進めなかったことへの不満が住民の間で募っていたのに対し、SDFが草の根を志向し村落開発重視の姿勢を見せたことが指摘されている<ref name=mine1>峯島(2006)、276頁。</ref>。
 
これ以後の州政治は、チャムリンとバンダーリー(2004年に[[インド国民会議|国民会議派]](INC)に移籍)との一騎打ちの様相を呈していくことになる。中央との関係を重視するバンダーリーに対し、チャムリンは州内政を重視する姿勢を有していたとされる<ref>関口(2011)、208頁。</ref>。結局、年を追うごとにチャムリンは州内での地歩を固め、バンダーリーを寄せ付けない強さを見せるようになった。[[1999年]]、[[2004年]]、[[2009年]]のいずれの州議会選挙でもSDFは勝利し、チャムリンは州首相として4期目入っている。なお2009年州議会選挙では州議会32議席全てを独占する圧勝であった。シッキム州に割り当てられている[[ローク・サバー]](連邦下院)の1議席についても、[[1996年]]から現在に至るまでSDFが維持している<ref>関口(2011)、72頁。</ref>。
 
=== 長期政権 ===