「聖バルバラ」の版間の差分
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[[ファイル:Saint-Barbara-Grk-ikon.png|thumb|聖バルバラの[[イコン]]]]
[[ファイル:Jan van Eyck 011.jpg|thumb|[[ヤン・ファン・エイク]]「聖女バルバラ」(アントウェルペン王立美術館、1437年)]]
'''聖バルバラ'''(
[[正教会]]では'''イリオポリの聖[[大致命女]]ワルワラ'''と呼称される<ref>[[日本ハリストス正教会]]『正教会暦』2008年版</ref>。「ワルワラ」のギリシャ語表記は"{{lang|el|Βαρβάρα}}"だが、古典ギリシャ語再建音の「バルバラ」が西欧に伝わったのに対し、中世以降から現代に至るギリシャ語の読みである'''ヴァルヴァラ'''が東欧・スラヴに伝わり、[[教会スラヴ語]]で"{{lang|ru|Варвара}}"(ヴァルヴァラ)と転写された事に由来する。[[日本正教会]]に伝わった際、"V"音は"W"音で転写される事が多く、このため日本正教会ではワルワラと転写されるに至った。
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バルバラはキリスト教が禁じられていた[[3世紀]]、[[ニコメディア]]の富裕な家庭に生まれた。求婚者たちから美しい娘を遠ざけようとした非キリスト教徒の父、ディアスコロスによって、バルバラは塔の中で生活することになる。その幽閉生活の中で彼女はキリスト教への信仰に目覚めた。ある日、2つの窓のある浴室が塔内に建設されることになった際、バルバラは窓を3つに増やさせた。この理由を[[三位一体]]を表すためとしたことから、娘がキリスト教徒であることを知った父は激昂し、手にかけようとする。
その瞬間、岩が2つに裂け、バルバラを包んで連れ去った。しかし、彼女を発見した羊飼いはその居場所を彼女の父親に密告してしまう。その後、羊飼いの羊たちは[[イナゴ]]に姿を変えられた。一方、捕らえられたバルバラはキリスト教を信仰したかどによって、火で身体を焼かれるなどの拷問を受けた。しかし、翌朝には神のもたらした奇跡によって傷は癒され、その裸身は白い薄衣で人目に直接触れないように覆われたとされる。12月4日、剣によって彼女は[[殉教]]したが、その父はのちに稲妻に打たれて死んだという<ref>植田重雄「聖バルバラ
== 崇敬 ==
[[十四救難聖人]]
拷問を受けていたバルバラが手折った枝から花が咲いたという逸話から、ドイツやフランスの[[アルザス地方]]では[[サクラ]]や[[アンズ]]、[[リンゴ]]、[[レンギョウ]]などの枝を12月4日の'''聖バルバラの日'''に水にさし、クリスマスの頃についた花の数で幸福を占う。この占いのための枝を'''バルバラの枝'''という。同様に聖バルバラの日に水に浸した小麦がクリスマスに芽吹いた数によって翌年の豊凶を占うということも行われ、これらの麦は'''バルバラの麦'''と呼ばれた<ref>植田、前掲、pp. 97-99.</ref>。また、ドイツの諺に「白い衣装のバルバラは良き夏の季節を告知する」といい、聖バルバラの日に降る雪は翌年の夏の豊作を示すものと考えられた<ref>{{cite web
| date = 1984年5月
| author = 植田重雄
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}}</ref>。
広く民間に崇敬を集めた聖人であるが、[[カトリック教会]]では歴史的に実在した証明ができないことを理由
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[サンタバーバラ]] - アメリカ、カリフォルニア州の地名。[[フランシスコ会]]の宣教師が聖バルバラに
{{DEFAULTSORT:はるはら}}
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