「ネヴィル・チェンバレン」の版間の差分

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|内閣2=
|就任日2=[[1923年]][[8月17日]] - [[1924年]][[1月22日]]<br>[[1931年]][[11月5日]]
|退任日2=[[1937年]][[5月28日]]
|元首職2=
|元首2=
35行目:
|職名3=保健大臣
|内閣3=
|就任日3=[[1923年]][[3月7日]] - [[1923年]][[8月27日]]<br>[[1924年]][[11月6日]] - [[1929年]][[6月4日]]<br>[[1931年]][[8月25日]]
|退任日3=[[1931年]][[11月5日]]
|元首職3=
|元首3=
42行目:
|職名4=[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]議長
|内閣4=
|就任日4=[[1940年]][[5月10日]]
|退任日4=[[10月3日]]
|元首職4=国王
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[[バーミンガム]]市長や[[植民地]][[大臣]]などを歴任した[[ジョゼフ・チェンバレン]]を父としてバーミンガムのサウスボーンで生まれる。6歳の時に母親が死去した。
 
[[ラグビー校]]で教育を受け、さらにメイソン・サイエンス・スクール([[バーミンガム大学]]の前身)でも学び、科学と[[冶金学]]([[金属工学]])の学位を得て、卒業後は[[監査法人]]に就職した。一方で父ジョゼフが経営していたバハマの農園へ派遣され、そこで長く農園経営も行った。
一方で父ジョゼフが経営していたバハマの農園へ派遣され、そこで長く農園経営も行った。
 
=== 政治経歴 ===
その後実業界で成功を収め、この時に得た名声を後ろ盾として[[1911年]]にバーミンガム市議に立候補し当選し、[[1915年]]には父同様バーミンガム市長となる。[[1918年]]に下院議員となり、[[1923年]]から[[1937年]]にかけて保健大臣、[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]などの要職を務めた。
 
=== 首相職 ===
==== 内政 ====
[[1937年]]、[[スタンリー・ボールドウィン]]の後を受けて、[[保守党 (イギリス)|保守党]]党首、首相の座に就く。就任後すぐに、女性や子供の労働時間に制限を掛ける法律を通過させたほか、そのほかにも有給休暇関連法や家賃統制など、労働者の権利を優先させる法律の制定に尽力した。
 
==== 外交 ====
当時イギリスや[[フランス第三共和政|フランス]]と軍事増強と領土の拡大を進める[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]、[[イタリア王国|イタリア]]などとの間で政治的緊張が増す中、チェンバレンがドイツの[[アドルフ・ヒトラー]]や、イタリアの[[ベニート・ムッソリーニ]]に対して取った[[宥和政策]]は、[[1938年]][[9月29日]]の[[ミュンヘン会談|ミュンヘン協定]]で頂点に達した。結果的にはこれによって[[第二次世界大戦]]の開始が1年引き延ばされることになる。
 
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その後、[[1940年]]4月にドイツ軍の[[北欧侵攻|ノルウェー作戦]]の阻止に失敗、同年[[5月10日]]、ドイツ軍が[[ベネルクス]]3国に侵攻の矛先を転じると、チェンバレンの宥和政策は完全に破綻した。同日、首相を辞任し、後継には主戦派の[[ウィンストン・チャーチル]]が就任して保守党とともに[[労働党 (イギリス)|労働党]]なども参加する挙国一致内閣が組織されることになった。
 
この挙国一致内閣の組閣においてチェンバレンはチャーチルから下院院内総務兼枢相への就任を要請されたが、この人事に対して挙国一致内閣に参加した労働党の[[クレメント・アトリー]]が難色を示したため、チェンバレンは枢相のみへの就任にとどまった<ref>[[ウィンストン・チャーチル]]著、[[佐藤亮一 (翻訳家)|佐藤亮一]]訳『第二次世界大戦2(2(新装版)』河出文庫,2001、2001年7月,16、16頁</ref>。
 
=== 死去 ===
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*[[宥和政策]]
 
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| title = {{GBR}}[[イギリスの首相|首相]]
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| after = {{仮リンク|ウィリアム・ジョイソン=ヒックス|en|William Joynson-Hicks, 1st Viscount Brentford}}<br />{{仮リンク|アーサー・グリーンウッド|en|Arthur Greenwood}}<br />{{仮リンク|エドワード・ヒルトン・ヤング|en|Hilton Young, 1st Baron Kennet}}
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| title = [[イギリス保守党党首一覧|イギリス保守党党首]]
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