「玉木重雄」の版間の差分

タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[ブラジル]]で日系3世として生まれ、カスペル・リベロ高時代にブラジル選抜として日本選抜と対戦。[[1990年]]に来日し[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱自動車川崎]]に入社。[[1995年]]日本選手権でMVPに輝く。[[1995年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1995年のドラフト]]3位で[[広島東洋カープ]]に入団。
=== プロ入り後 ===
=== 広島時代 ===
[[1996年]]4月6日の[[中日ドラゴンズ]]戦でプロ初登板を果たし、2回無失点の好投を見せた。4月14日の[[阪神タイガース]]戦ではプロ初先発するも4回5失点で敗戦投手となった。9月1日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]でプロ初勝利を挙げた。同年はルーキーながら30試合に防御率4点台と安定感を欠いたものの、3勝1敗1セーブの成績を残した。
 
[[1997年]]は25試合の登板に留まり、勝ち投手になることはなかった。
広島では、右の中継ぎ投手として活躍した。[[2001年]]には、62試合に登板し防御率2.76という好成績を残している。また、ローテの谷間には先発もしてよく抑えた。[[1999年]]、日本に帰化。
 
[[1998年]]は前年の倍となる50試合に登板し、6勝4敗2セーブをマークしたが、安定感のなさは相変わらずで、防御率4.99と高めだった。
[[2005年]]無償トレードで[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に移籍。セットアッパーとして活躍するも故障し、その後1軍に復帰することなく[[2006年]][[9月26日]]、楽天から戦力外通告を受け現役を引退。「プロ野球に入れてよかった。悔いはない」とコメントした。
 
[[1999年]]39試合に登板し、3勝3敗、防御率4.08で、プロ入りから4年連続で防御率4点台を記録した。同年は日本に[[帰化]]した。
 
[[2000年]]はさらに登板機会が減り、26試合の登板に留まったものの、プロ入り初となる防御率2点台をマークした。
 
[[2001年]]には、62試合に登板し9勝3敗3セーブ、防御率2.76という好成績を残した。
 
[[2002年]]も中継ぎの柱としてチームを支え、52試合に登板した。
 
[[2003年]]は防御率5.25と再び安定感を欠き、30試合にしか登板できなかった。
 
[[2004年]]は37試合に登板し、防御率3.61の成績だった。オフに無償トレードで[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に移籍した。
=== 楽天時代 ===
楽天創設初年度の[[2005年]]は選手層の薄い厳しいチーム状況の中でセットアッパーとして活躍するが途中で故障し、その後1軍に復帰することなくシーズンを終えた。最終的に22試合の登板で防御率3.52の成績を残した。この年の楽天の選手は実績を残してはいるが、移籍時には既にピークを過ぎており疲弊していた選手も多く、オフに大量に解雇されたが、一定の成績を残した玉木は残留となった。
 
[[2006年]]は投手陣の駒不足が解消されない状況下だったが、前年途中の故障の影響からかプロ入りしてから初めて1軍登板できず、[[9月26日]]に[[戦力外通告]]を受けた。そしてこの年限りで現役を引退した。引退に際して「プロ野球に入れてよかった。悔いはない」とコメントした。
=== 現役引退後 ===
 
広島入団時に「選手として駄目なら中南米担当のスカウトで」とのことだったので、広島でその職に就くものと思われたが、[[2007年]]から[[読売ジャイアンツ|巨人]]の二軍コーチ補佐兼中南米選手発掘担当に就任。実績としては[[ウィルフィン・オビスポ]]の獲得に貢献したが、[[2012年]]を以って退団。
1,563

回編集