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アールパードは[[ロシア]]南部の[[ヴォルガ川]]南岸付近にいたマジャル人の大首長で、主に[[軍事]]を把握していたが、敵対する[[テュルク系民族|テュルク系]]の[[ペチェネグ|ペチェネグ族]]などに攻撃され、共同統治者の名誉最高首長(ケンデ)[[クルサーン]](Kurszán)とともにマジャル人を率いて西方の[[バルカン半島]]に進出した。[[東ローマ帝国]]と同盟を結び、[[第一次ブルガリア帝国]]を攻撃するが敗北し、[[ドナウ川]]の中流域、[[プスタ|ハンガリー平原]]に移住する。ここを本拠地として[[ドイツ]]南東部の[[バイエルン大公|バイエルン]]・[[イタリア]]をはじめ各地に遠征した。
 
[[904年]]、クルサーンがバイエルンの貴族たち唆されよっ、部下偽りの宴暗殺招待して、従者ともども騙し討ちされ、非業の死を遂げると、アールパードが代わってマジャル人の最高首長・大首長として単独統治者となった。
 
[[907年]]に[[オーストリア]]を支配する[[オーストリアの歴史#オストマルク東方辺境伯領|オストマルク東方辺境伯領]]に侵入して、これを撃破したが、[[スイス]]で[[フランス王国]]の軍勢に大敗して、撤退した。間もなく逝去した。
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[[Category:ハンガリー大公]]