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{{出典の明記|date=2010年7月}}
'''建州女直'''(けんしゅうじょちょく)は、[[明]]代から[[清]]初頃に[[満州|満洲]]南部周辺に居住していた女直([[女真]])の集団を指す。建州女直は[[満州語|満洲語]]では、'''マンジュ・グルン'''(ただ単にマンジュ国、あるいは文殊師利とも表記された)(Manju gurun)と呼ばれる集団にあたる。女直には他に、北に[[海西女直]]、東に[[野人女直]]がいた。
 
== 概要 ==
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=== 満洲 ===
満洲は、[[スクスフ]](Suksuhu、蘇克素滸)・[[渾河|フネヘ]](Hunehe、渾河)・[[完顔氏|ワンギヤ]](Wanggiya、完顔)・{{仮リンク|ドンゴ氏|en|董鄂氏|label=ドンゴ}}(Donggo、董鄂)・[[ジェチェン]](Jecen、哲陳)の五部に分けられ、建州五部とも呼ばれる。
 
=== 白山 ===
白山(Šanggiyan alin)は[[ジュシェリ]](Jušeri、朱舎里)・[[ネィエイェン]](Neyen、納殷)・[[鴨緑江]](Yalu giyang)の三部に分けられる。
 
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