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[[靖康の変]]の際、徽宗や欽宗らと共に金軍に拉致された。完顔設野馬([[完顔宗翰]]の長男)は富金を大いに好み、[[完顏宗望]](富金の同母姉・趙福金の後夫)を仲人にして、捕虜となった徽宗に求婚した。徽宗が「富金は既婚者です。我国には、節義を重んずのにひきかえ、貴国には不同な」と言って反対した。完顔宗翰は激怒して「詔令によってお前たちはもう捕虜となった」と言った。徽宗も激怒して「上には天国があり、下には地府がある。人間には息女と嫁がある」と言ったが、宗翰に叱りつけた。
 
連行の途中、完顔設野馬は盛んな酒宴を設け、富金は側室となったのを公表した。金に到着後、設野馬は太宗に再請求し、富金は次婦の位を授けられた。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで富金と一族は金で健在であった。
 
== 伝記資料 ==