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== 概説 ==
「異端」は「{{lang-en|orthodoxy}} 正統」の動的な対概念である。[[宗教学]]辞典などで、異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念というのは「正統」という概念があってはじめて成立するものであり、それ自体で独立に成立する概念ではない。「[[正統]]」と見なすものがあり、それではないものを「異端」と見なすということである。<ref> 「{{要出典範囲|正統は原初のものを「正しく受け継ぐ系統」を意味する|date=2015年4月}}。
 
{{誰|date=2015年4月}}「{{要出典範囲|異端の指摘をされる場合は、受け継がれる系統接続に齟齬があったり原初の解釈に主観的な差が生じたりなどで、客観性が保てなくなった主張が複数ある状態だ|date=2015年4月}}」{{いつ|date=2015年4月}}
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既成宗教の問題点を指摘し、人々のためにその変革を試みる人物は多くの場合、既成宗教から最初は「異端」と見なされることになる。
[[ブッダ]]は、当時のインドの既存宗教勢力から異端視された。[[イエス・キリスト]]はローマ支配下のユダヤの律法主義者から異端視された。ヨーロッパ中世で一旦腐敗したキリスト教会の問題点を指摘した[[プロテスタント]]の人々も当初は異端視・迫害され、米国などへ逃れる必要も生まれた。たとえ「異端」と見なされ排斥されても、それでも、より良い宗教を求める人々によって、既成宗教の問題点が改善されてきたという歴史的事実がある。<ref>注. 決して「異端が全て宗教改革になる」という意味ではない。宗教改革にならない異端もある。あくまで、「宗教改革を行う人はしばしば当初は異端と見なされる」という意味。
{{誰「宗教改革に寄与したのは異端の存在ではなく、異端とされた主張が支持を得て、ある程度の{{要出典範囲|客観性|date=2015年4月}}を得たからだ。{{要検証|date=2015年4月}}」</ref>
 
== 呼称 ==
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「異端」という語の用い方として、宗教学辞典では「異端」を同一の宗教やイデオロギーを共通基盤として成立するものの間における対立的立場で、正統に対する異端であって「異教」とは異なる<ref name="shuukyougaku_OH" />、との説明が掲載されてはいる。(つまり学者の立場では、用語ごとに厳密に区別することで学術用語的なものにしたい、という考え方がある。)ただし、実際の用法としては([[#キリスト教における異端]]や[[#儒教における異端]]など節でも解説するように)異なった宗教を指すためにも用いられている。
<!--{{要出典範囲|日本語における「異端」という語の語源は[[論語]]の「子曰く、異端を 攻むるは、 斯れ害のみ(子曰。攻乎異端。斯害也已。)」の一文になる|date=2011-8}}。-->
 
== ユダヤ教における異端 ==
正統[[ユダヤ教]]とされた[[律法主義]]者たちとその体制から見て、[[神の国]]を説く[[イエス・キリスト]]は異端と見なされ、処刑されることになった<ref name="tetsugakushisou" />。神の国の理念や実践、[[アガペー]]や[[隣人愛]](聖書の「[[善きサマリア人のたとえ]]」のくだりなどで語られる内容 )といった一連の理念や実践が異端とされたわけである。
 
== キリスト教における異端 ==
キリスト教においては「異端」は様々な用法があるが、例えば党派心、教会の統一を破るもの、不信仰、キリスト教だと称するが伝統的なキリスト教の教えを踏み外している教義・学説などを呼ぶための言葉として用いられてきた<ref name="shuukyougaku_itan" />。キリスト教においては、「異端」は、キリスト教でないものに対して使われる場合と、キリスト教の中にある異端的な説に対して使われる場合がある。
 
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*教会法によれば洗礼後、名目上キリスト教徒としてとどまりつつ意識的・意図的に神の意志に対して反対するのが異端であり、これは信仰の諸前提から誤って導き出された神学的誤謬とは区別されなければならない<ref>新カトリック大事典編纂委員会編、「新カトリック大事典」、1996年</ref>。
*今日では異端とは客観的意義に於いては狭義のカトリック教理に反する命題、又主観的意義に於いてはかかる命題の容認、或る天啓的信仰事項として (fide divina) 、又は公教的信仰事項として (fide catholica) 信ずべき真理の頑固な否定、または真剣な懐疑を指す(教会法1325条2項)<ref>上智大学、独逸ヘルデル書肆共編、「カトリック大事典」、1940-1942年</ref>。
<!--ただし[[統一協会]]については、カトリック教会による「キリスト教とあまりにも無関係で、異端ですら無い」との宣告がある。カトリック関係者から疑義が付されているのでc/oします。answer:教皇庁キリスト教一致推進事務局の1986年の報告書というものが存在するようです。又、百瀬神父やメネシェギ神父の著作「キリスト教に問う65のQ&A」「諸教派のあかしするキリスト」などで他二者より強い「キリスト教ではない」「キリスト教と本質的に異なる」との言及があります。-->
<!-- 神父の個人的な意見は、「教会の宣告」ではないです。教皇回勅とはいいませんが、使徒的書簡とか教理庁長官書簡といった公的な文書でなければ「教会の宣告」とはいわないのではないでしょうか。「報告書」は微妙ですが、「宣告」というのとは違うと思われます。-->
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=== キリスト教において異端とみなされた主要な諸派・思想 ===
* [[仮現説]](ドケティスム) 人間としてのキリストは見せかけのもので、あくまで神的存在であったと考える。 [[w:Docetism]]
* [[グノーシス主義]] ギリシャ語の知識(グノーシス)に由来。二元論的世界観。 [[w:Gnosticism]]
* [[エビオン派]] 2世紀、イエスは人間で神の養子である(養子論、[[養子的キリスト論]])。処女懐胎を否定、唯一神の強調。 [[w:Adoptionism]]
* [[マルキオン派]] 2世紀の[[マルキオン]]に由来。旧約・新約の神を区別して旧約の神を否定、また、神が人間のように苦しむはずがないとしてイエスの肉体を否定する。グノーシス主義に近い。 [[w:Marcionism]]
* [[モンタノス派]] 2世紀、モンタノスが創始。禁欲的生活を呼びかける。[[テルトゥリアヌス]]も加わっていた。
* [[モナルキア主義]] 3世紀、唯一神論ともいう。
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** [[サベリウス主義]] 3世紀、様態的モナルキア主義の一種。キレナイカの[[サベリウス]]が創始。
** [[キリスト人間説]] 3世紀、動態的モナルキア主義ともいう。サモサタのパウロスなどが論者。[[養子的キリスト論]]に近い。
* [[アポリナリオス主義]] 4世紀、ラウデキア司教[[アポリナリオス]]はキリストは人間の魂をもっていなかったと主張。 [[w:Apollinarism]]
* [[アリウス派]] 4世紀、キリストの人間性を重視し、神との同一視を否定。 [[w:Arianism]]
* [[エウキテス派]] 東方教会より分裂。 [[w:Euchites]]
* [[ルシフェル派]] 4世紀の司教ルシフェル・カラリタヌスに由来。 [[w:Luciferians]]
* [[単性説]] 4世紀、[[エウテュケス]]が唱える。 [[w:Monophysitism]]
* [[ネストリウス派]] 5世紀のコンスタンティノポリス司教[[ネストリオス]]に由来。 [[w:Nestorianism]]
* [[ペラギウス主義]] 5世紀、ブリタニアの修道士ペラギウスに由来。 [[w:Pelagianism]]
* [[万人救済主義]] [[アウグスティヌス]]は信者のみ救われると主張した。
* [[プリスキリアヌス主義]] 5世紀のスペインで起こる。  [[w:Priscillianism]]
* [[ボゴミール派]] 10世紀、ブルガリア人修道士ボゴミールが創始。 [[w:Bogomils]]
* [[アンリ派]]  12世紀、ロザンヌの修道士アンリに由来。 [[w:Henry the monk]]
* [[ペトロ・ブルイス派]] 12世紀、ブリュイのペトルスに率いられる。 [[w:Peter of Bruis]]
* [[カタリ派]] 12世紀末~14世紀初頭、[[物質]]世界は悪であり、[[形而上学]]的な世界を善とした二元論を展開。 [[w:Catharism]]
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== イスラームにおける異端 ==
[[イスラーム]]の場合、正統 / 異端の語は、教義について用いられるというよりも、実践的な行為を指して用いられている。すなわち orthos (正しい)+ doxa(教義)といった表現ではなくて、orthos(正しい) + praxis(行為) といった構成の表現が用いられている<ref name="tetsugakushisou_is">『岩波 哲学思想事典』 pp.921-922【正統と異端】【イスラーム】 [[中村廣治郎]] 執筆</ref>。
 
9~10世紀における[[ハディース]]の蒐集と四法学派の成立によって[[スンナ]]の内容が確立すると、そうしたスンナと対立する新奇な行為は「[[ビドア]]」として排斥されるようになった。だが、後には、それはhasanah(良いもの)とsayyiah(悪いもの)に分けられ、前者は共同体の承認をえて受け入れられていった<ref name="tetsugakushisou_is" />。
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正統バラモンたちからアースティカの代表格と見なされたのは[[六派哲学]]で、その中でも[[ヴェーダ]]聖典[[解釈]]と密接な関係がある[[ミーマーンサー]]と[[ヴェーダーンタ]]を正統の中の正統とする傾向がある<ref name="tetsugakushisou" />。
 
それに対し、ナースティカと見なされたのは、[[チャールヴァーカ]](=[[唯物論者]])、[[仏教|仏教徒]]、[[ジャイナ教|ジャイナ教徒]]だった<ref name="tetsugakushisou" />。古典期においてはバラモンたちは彼らをナースティカとして異端視する傾向が強かった<ref name="tetsugakushisou" />。だが、その後には異なった考え方を可能な限り取り込んでしまおうとする包括主義が見られるようになり、それは[[ヒンズー教]]へと継承され一大特徴となっていった<ref name="tetsugakushisou" />。 
 
 
== 仏教における異端 ==
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論語に次のような表現がある
 
:子曰。攻乎異端。斯害也已 
 
「子曰く、異端を 攻むるは、 斯れ害のみ」と読め、自分の考えと異なった考えを攻(責)めているようでは、かえって自分を害することになる、という意味ともされるが、
具体的な意味は不明<ref name="tetsugakushisou" />ともされる。この一文の解釈は註釈者によって相違があり、一つではなく、[[朱子]]は『論語註釈』の中で「正統から外れたものを学ぶことは、害にしかならない」と[[解釈]]した{{要出典|date=2011-8}}という。
 
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儒教に対して[[仏教]]や[[老子|老]]・[[荘子|荘]]・[[道教]]を異端として特定しつつ排斥するような主張が、いったい誰に始まるのか不詳だという<ref name="shuukyougaku_itan" />。ただ、[[韓愈]]の『[[進学解]]』には「異端を拒絶し仏老を退ける」との表現はある<ref name="shuukyougaku_itan" />。
 
 
== 学問における正統と異端 ==
学問の世界でも 正統 / 異端 と同様の区別や論争は存在している。
 
[[自然哲学]]においては17世紀の段階では、ほぼ全員の人々は、物というのは直接にぶつからないと互いに影響しあわない、とする考え方で世界を理解し<ref group="注釈">注. これを現代的な用語では「近接作用論」と言う。デカルトの[[渦動論]]も近接作用論である。これに対してアイザック・ニュートンが唱えた[[万有引力]]は現代的な用語では「遠隔作用論」に分類される。</ref>、それを正統なものとしていた。[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]が『[[自然哲学の数学的諸原理]]』(1687年)において[[万有引力]]という新たな考え方を提唱した時には、[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]](およびライプニッツ一派の人々)は、その考え方を「[[オカルト]]」という言葉で呼びつつ排斥しようとし、大陸側とイギリス側、[[ドーバー海峡]]を挟んで論争となった。その後も数十年間、大陸側の学者たちは「物は直接ぶつからない限り互いに影響しない」とする考え方を正統なものとし、「離れていても影響する」という考え方を異質な考え方として排斥しつづけた<ref group="注釈">フランス(つまり大陸側)の人間である[[ヴォルテール]]が、イギリスに滞在した折、重力について(宇宙について)大陸側とイギリス側で全然異なった説明が行われていることを見出して、その感想を語った書簡が残されている。</ref>
 
西欧では学問、すなわち知の探求は一般的に[[ラテン語]]等で[[哲学|philosophia、philosophie]](フィロソフィア、「知を愛すること」の意)などと呼ばれていて大学における各学問の呼称もフィロソフィアであった<ref group="注釈">18世紀の半ばすぎでも、学問のほとんどは、「philosophy of ...」のように、あくまでフィロソフィアを冠して呼ばれていた。</ref>。学問の世界ではフィロソフィアが正統なものであった。だが(おおよそ18世紀後半から19世紀半ばにかけて徐々に)そうしたフィロソフィーの中からある種の(独特の)傾向の知識があると考える人たちが増え、そのような知識を探求する人の数の増加も反映し1833年にはウィリアム・ヒューウェルが「[[科学者|scientist サイエンティスト]]」という語を造語し、自分たちをそう呼ぶことが提案された。だがそれがすぐに定着したわけではなく、その時代、大学という制度で地位が認められ社会的にも認められている学者たちは scientiaを正統的でない知識と見なしており、scientistたちの社会的な地位は概して低かった。学者たちは(現代から見れば、scientistと呼ばれるような内容の活動をしている人ですら)他人から「scientist」と呼ばれることは嫌がり「philosophe 哲学者」と呼ばれることのほうを好んだと指摘されている。scientistたちは、人々から正統性が認められるには長い年月がかかった<ref group="注釈">このような科学者の社会的地位の状況の変遷などに関する歴史的事実は、村上陽一郎の一連の著作で解説されている。</ref>
 
このように社会から正統性を認められるのに苦労していたscientiaの側からも、すでに1830年代あたり<ref group="注釈">端的には、[[フランソワ・マジャンディー]]の1833年の文献などが指摘されている。それ以前にも若干あった、との指摘もある。</ref>から、pseudo-scientia([[疑似科学]])という呼称で、正統的でないそれを呼び分けるようなことが行われるようになった。
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科学という概念がようやく広まりつつあったころ、[[科学者]]のほとんどはアマチュアサイエンティストであった<ref name="murakami">出典:平凡社『世界大百科事典』【科学者】村上陽一郎 執筆。また村上陽一郎の一連の著作などで、そのあたりの事実は記述されている。</ref>、また社会的にも優遇されているとは言い難かった(冷遇されていた)<ref name="murakami" />。現代では、科学は(かつての西欧のキリスト教と同様に)国家からお墨付きを得て、行政的な機構にも組み込まれている<ref name="murakami" />。政府や政府系の組織によって膨大な数の科学者が雇われ生活しており、科学は一大勢力となっている。現代では、科学者でない一般の人々も含めて、多くの人々が、サイエンス([[科学]])をしばしば「正統」「正統性」というイメージと重ねつつ受けとめている、ということは多くの科学哲学者などから指摘されている。こうした社会環境においては 「科学」 /「疑似科学」 という一対の概念が、(ちょうどかつてのキリスト教が政治権力と一体となっていた西欧における、キリスト教の 正統/異端 のように)その判定の結果が大きな影響を及ぼす概念となっている。何が科学で何が科学でないか、ということに関しては、20世紀に様々な論争が行われている。これは[[線引き問題]]、と呼ばれている。
 
現代の学会などでは(特に自然科学系の学会などでは)、古参の科学者などが新奇な研究や新奇な説などを「疑似科学」(や「オカルト」)などと呼んで排斥しようとすることがある。現代の科学者にとっては、自分の研究に「疑似科学」との烙印を押されてしまうと、科学者にとって必須の、公的機関からの研究助成金などを支給してもらえなくなり、科学者生命を絶たれることを意味し、やがて職や収入も失い、その意味でも死活問題となる<ref group="注釈">注 - こうしたことに関する指摘は数々の科学者によって記述されている。例えば日本の一例を挙げると、[[大槻義彦]]などが、科学の世界での異端排斥の空気を自著で語っている。大槻はオカルト批判者としてしばしば知られている学者ではあるが、彼自身が自著で語るところによると、本当は少年時からあくまで[[火の玉]]に興味があってそれの研究をしたくて物理学を専攻として選ぶことになったが、本当に興味のあることを正直に明かすと科学の世界で生きてゆくこともできそうもなかったので、本当の目的は伏せて仮面をかぶって過ごし、週末に独りで毎週のように火の玉研究のために出けたが、そうした活動をしていることを同窓生・教師などに少しでも知られてしまうとあまりに危険なので、学内のどんなに親しい友人にも一切知らせなかったという。また研究者となっても「オカルト」などのレッテルを貼られてしまうと、猛烈なバッシングにあい、公的な研究助成金も止められ科学者生命が絶たれてしまうことを、その実例なども見て知っており、自分の研究のテーマは(表向き)科学界に受け入れられるものを選ぶなど、苦労に苦労を重ねてアカデミーの世界でなんとか今日まで生き延びてきた、という。(大槻義彦『江原スピリチュアルの大嘘を暴く』鉄人社 2008、後半の章に生々しく語られている)。</ref><ref group="注釈">著書『「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』で知られる[[村上宣寛]]なども、もともと[[ロールシャハテスト]]などの心理テストに関する(肯定的な)研究などを行っていたが、ある時学会で他の学者から、研究内容を「疑似科学」と非難されるという、学者生命が絶たれそうな危機的な出来事があり、心理テストの間違いなどを指摘するようになった、と著作などに書いている。村上宣寛の場合は、自説をすばやく放棄し、自身の過去の研究の間違いを正しただけでなく、他の学者の説を疑似科学的な要素の排斥を行う書物をさかんに書くようになったことで生き残りを果たしたが、通常は村上のようにはうまく立ち回れず、自己弁護や論争をしているうちに学会で葬り去られてしまうパターンが多い。</ref> 現代の科学者は、先輩や同僚の科学者たちから「疑似科学」「オカルト」などの言葉で異端との烙印を押され排斥されることを恐れている。
 
== 出典 ==
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<references group="注釈"/>
 
== 参考文献 ==
* 東京大学出版会『宗教学辞典』pp.26-27【異端】
*『岩波 哲学思想事典』 pp.921-922【正統と異端】
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* [[文化|カルチャー]] / [[サブカルチャー]]
* [[シンクレティズム]]
 
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[[Category:異端| *]]
[[Category:宗教]]
[[Category:宗教的な差別]]