「ボーイング367-80」の版間の差分

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[[B-52 (航空機)|B-52]]の進空と同じ[[1952年]]に設計開始し、開発費1600万USドルは総て自社資金で賄われた([[B-47]]などの爆撃機受注によって得られた利益による)。[[1954年]]7月15日に初飛行すると、予想通り空軍が強い興味を示し、当時需要が切迫していた空中給油機版のKC-135としていきなり大量発注を受けた。
 
安全性に対する懐疑的な雰囲気の払拭にも成功し、旅客機型707の開発にも着手されるが、空軍からKC-135の納期遅延を懸念され製造ラインを民間機と併用することが認められなかったこと、エンジンの[[軍事機密]]指定解除が遅れたこと([[プラット・アンド・ホイットニー|P&W]] JT3 は J57 の民生版)、先に実用化していた世界初のジェット旅客機[[デ・ハビランド DH.106 コメット]] Mk.1 が同時期に[[コメット連続墜落事故|未曽有の連続事故]]に見舞われたことなどから、707の就航までにはかなりの年月を要した。
 
367-80は2-3のシート配置だったが、707では3-3の横6列シートを実現するため、胴体直径を6インチ(15cm)拡大された。またボーイングのお家芸とも言える[[高揚力装置#スロッテッドフラップ|トリプル・スロッテッド・フラップ]]も、新規に開発された。