「西ドイツ」の版間の差分
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戦後の西ドイツの再出発には多数の障害があった。大戦による破壊もさることながら、[[モーゲンソー・プラン]]に基づきドイツを脱工業化するため[[1950年]]まで続いた、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍による石炭産業・鉄鋼業の解体も大きかった。また、ドイツが持っていた知的財産の没収、たとえば国内外にドイツ企業が持っていた高価値の[[特許]]を連合国が没収し自国産業強化に使わせたり、ドイツ人の研究者がソ連やアメリカに連行されたりといった苦難もあった。
一般にはマーシャル・プランが西ドイツを復興したように考えられているが、同様の援助は西欧諸国も受けており、西ドイツの経済の奇跡の完全な説明にはならない。西ドイツがマーシャル・プランで受けていた金銭的貸付は、西ドイツが連合国に行った[[
「経済の奇跡」の原因は究極的には、1948年の'''通貨改革'''によりライヒスマルクがドイツマルクに置き換えられ、インフレーションが終わったことが大きい。また工業に対する連合国の束縛の廃止もある程度の影響を与えた。1950年に勃発した'''[[朝鮮戦争]]'''は世界的に物資の需要を高めたが、これによる物資不足で、ドイツ製品を忌避していた国々も西ドイツ製品を買うようになった。当時、西ドイツには[[オーデル・ナイセ線]]以東の[[旧ドイツ東部領土]]や東ドイツからの避難民が溢れていたため、他国と比較して賃金の安い熟練労働者を多く抱えており諸外国の輸入需要にこたえることができ、結果ドイツの[[輸出]]は急激に伸びた。労働時間は長くなり仕事は次第にきつくなってきたため、[[1950年代]]末から[[1960年代]]にかけて、ガストアルバイター(Gastarbeiter)と呼ばれる[[移民]]が[[トルコ]]や[[大韓民国|韓国]]など諸外国から呼ばれ、人手不足や経済成長の加速を支えた。
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